真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

2018-01-01から1年間の記事一覧

スピノザの真理とお釈迦様の真理

NHK100分de名著 スピノザ エチカ の最終回を観た。 わくわくしながら・・・ 今回のテーマは「真理」 魚が水の中でしか自由に泳げないように、 人は真理の中でしか自由に生きられないんだな。 スッタニパータ「杖をとりあげるものの経」の中に こんなガー…

無欲になろうとするのも、欲?

無欲っていうのは意志ではなくて認識のこと 無欲になろうとするのも欲? 意志で意志を絶ち切ることはできない? じゃあなにによって、無欲になるの? スッタニパータにはこんな表現が出てくる。 彼は貪ることにも夢中にならないが 欲を離れることにもむきに…

人を信じるということは、その人の真実と共に生きること

このガーターを読むと わたしはわくわくして胸が高鳴る。 犀の角の経 45-11 もしも信の人 敬虔な人 智慧の人なる 明敏な友を得たならば どんな危難をものりこえて 彼と共に 喜びに充ちて思いも深く歩いてゆこう ああ~こんな人と共に生きていけたら・・…

私たちを支配する欲望

自分の世界(洞窟)に閉じこもる人 ~洞窟の八つの経から①~ 人を支配して苦しめるいろいろな欲望。 その欲望からどうやって解放されるかが追及されていく。 私たちは、自分の考える世界がすべてだと思っている。 その世界に閉じこもっている。 実はその外に…

どうしても伝えたいスッタニパータというお宝を!

真理の一番のもと 私に、スッタニパータがいかにすばらしいお宝か、教えてくれたのは、 毎田周一先生。 その毎田先生の全集、第一巻の中の、 「スッタニパータ研究~近頃の私の思い~」という文章から引用します。 スッタ・ニパータという経典、 それは独自…

本来の自分自身になりきることが本当の幸福

幸福ってなんですか? 健康で幸せだと言う人もいるけど、 障害をもっているのに満たされている人もいる。 成績優秀なことが幸せだと言う人もいるけれど、 成績優秀で一流大学を出て一流企業に就職したのに不幸だという人もいる。 理想の人と結婚して子どもに…

世界と対立しているところには独立も自由もない。

独立者の自由は、 世界を余すところなく受け入れる。 柔軟な心で、どんな人の奥にある心のひだにも寄り添う。 それというのもどんな人とも対立していないからなんだな。 すべての人の中に凡夫としての自分を見ているのですね。 その謙虚さが智慧。 学べば学…

すべての人があるがままに尊重され、本来の働きをするなら、世界にはどんなに自然な秩序と調和が生まれるだろう?

(犀の角の経42-8を読んで) ものごとをあるがままに見る。 故意に手を加えたりしないで。 たとえ変でも、そうなるべくしてなっている。 そこには深い宇宙の法則が働いている。 人間が無理やり手を加えるから、 おかしなことになるんだな。 私たち人間が…

独立自由への願いはすべての人の内にある悲願。

(犀の角の経41-7を読んで) 子どもを可愛がる。 子どもの成長を何より楽しみにする。 そこにこそ人生の幸せがあると思い込む。 でも、本当にそこに自由があるのかな? 子どもを可愛がることで、 真に自分の生命は輝くのかな? 私たちの生命は個物的生命…

自覚者の「自由」というのは、私たち世間に生きる人には思いもよらない自由。

(犀の角の経40-6を読んで) ここには「人の気づかぬ自由」とある。 それは、私たちには思いもよらない自由。 夢にも知らない。 思ってもみたことがない。 常識をはるかに超えていて、 世間的立場に生きているわたしたちには、 考えもおよばないこと。 …

欲しいものを「欲しい」という、自由な人の率直さ

(犀の角の経 39-5を読んで) 欲しいものを「ください」と率直に言う。 それは、絶対自由の自発的要求。 そして、与えられるか与えられないかは、 相手の自由に任せる。 「嫌われたらどうしよう?」とか、 「断られたらどうしよう?」とか、 「無理させ…

過去も未来も今の中にしかない 今を生きて!

人生はどこか遠くにあるんじゃない。 人生は今ここにある。 この「今」の連続が人生。 確かにあるのはこの「今」だけ。 病気で余命半年を宣告された人にだって、 今はある。 明日も生きている保障なんて誰にもない。 過去に大きな過ちを犯したとしたって、 …

自覚者をみつけたい!

あ、この人もしかして? 自覚者さん?! ・・・と思っても 確かめる方法がわからない・・・ 真の自覚者は、 この世界に爪の垢ほどしかいないそうです。 それは見つけるの大変だ~! でも、半分くらい目が開いている人ならいるかも??? では、今までの学び…

なぜ?どうして?に神様はこたえてくれない。

ずーっとまっすぐだと思っていた道が、 突然曲がりくねる。 ずーっと広がっていくと思っていた道が、 突然狭まる。 ずーっとどこまでも続いていると思っていた道が、 突然行き止まりになる。 「え~?!どうして?」 「こんなはずじゃない!」 っとなる。 …

最も根強く抜きがたい家族への執着を超えて

(犀の角の経38-4を読んで) この世で最も根強く抜きがたい家族への執着。 それをこの経では、竹の根に例えられている。 この根を抜くことなくして、 決して世を超えることはできないと。 本当の自由を得ることはできないと。 ところで、どうやって竹の…

「同情」は「よいことをする」という捉われから。独立者の「慈悲」とは、まったくの別もの。

(「犀の角の経」37-3を読んで) 哀れむこと 同情すること これはいいことではないの? 誰かをかわいそうに思って声をかける。 力になってあげる。 そうできるのは優しくていい人ではないの? ブッブー! それは世間ではいいことと言われるかもしれない…

「こうすればこうなるだろう」という思い込みより、「こうすればどうなるだろう?」というワクワク

「こうすればこうなるだろう。」って、 相手を自分の都合に合わせて動かそうとしたり、 相手に自分をよく見せようとしたり、 そんな妄想からことを起こすと、 思い通りになるかどうかと、 オドオドしたり、 「思い通りにならない!」って、 腹を立てたりする…

慈愛と愛著のちがいは?愛著から起こる嫉妬・怒り・不満・憂鬱の苦しみを脱するには?

スッタニパータ「犀の角の経」で語られる独立者は、 慈愛に満ちている。 独立者は何にも捉われない。 自分も自由だし、他の人の自由も認めている。 すべての人に、その人が生きたいように生きることを願っている。 それが慈愛なんだな。 聖徳太子の言われる…

全ての生き物を尊ぶことと、子どもや仲間を大事にすることとは一致しない。

ただ一人歩いて行こうと、 繰り返し、独立を唱える 「犀の角の経」最初のガーターを読んで・・・ 慈愛というと、 自分の子どもや仲間を愛するという方向へ向かっていく。 これをぴしゃりと抑えられる。 特定のものを愛すれば、 他のものを犠牲にすることにな…

真の自由人は安らかで柔軟。

心が解放されて自由な人は、 さらさらしている。 こだわりがない。 自由な人のそばにはみんなが安心して寄ってくる。 自由な人は軽快でそばにいるとなんだか楽しい。 逆に、あっさりしていない人、 しつこい人、 いつまでも過ぎたことにこだわる人、 なにか…

真の自由人は安らかで柔軟。

心が解放されて自由な人は、 さらさらしている。 こだわりがない。 自由な人のそばにはみんなが安心して寄ってくる。 自由な人は軽快でそばにいるとなんだか楽しい。 逆に、あっさりしていない人、 しつこい人、 いつまでも過ぎたことにこだわる人、 なにか…

自由の人と自由の人が、お互いの自由を認め合う世界。

私は毎田先生の、この表現が大好き! 彼が愛するものとは絶対自由の存在である。 何ものにも縛りつけられていないものである。 ただそこに自由の生命と生命とが触れ合い、輝き合い、 火花を発して、永遠の生命の大交響楽を奏でているのみである。 ~ 釈尊に…

自力の亡者は憂い顔。絶対他力の人は明るい顔。

自力の亡者は憂い顔。 いつも何か心配している。 いつもなにか不満気。 「ああなったらどうしよう?」 「こうなったらどうしよう?」 「どうしてうまくいかないの?」 「こんなに頑張っているのに。」 「ついてないな。」 なにもかも思い通りにならないと嘆…

苦悩に明け暮れて、解放されない世間の生活。

私たちは人と人との関係に、 毎日あくせくして、 苦しんでいる。 そんな地上の生活にへばりついて、 その中でどうやって無事に過ごそうかと、 限られた智慧を働かせている。 その狭い世界から外に出てきさえすれば、 からりと明け放たれた、 爽快な世界に出…

無常の真理を生きる人は、あっさりさらさらと行く。

無常の真理を生きる人は、 なにも「こうすべき」ということがないから、 いつも真理に従うことができる。 「え~そんなはずじゃなかった~!」 「なんて、わたしはついてないんだ~?」 「あの人全然わかってない!」ぷんぷん なんて嘆いたり怒ったりするよ…

煩悩は自然なことで悪じゃない。唯一の悪は、自力的な執着。

仏法でいう悪っていうのは、 執着のこと。 そしてそれに気づいていないこと。 執着というのは、 「これはこうあるべき!」っていうふうに、 物事を固定して、 それを押し通そうとすること。 本当は、絶対的に 「こうあるべき!」なんて 固定できることはな…

自分の愚かさに目覚めることこそが智慧

敵を設定するのも、 迷いの心から。 怒りが生じるのも、 迷いの心から。 それを知りさえすれば、 怒りからも争いからも 離れることができる。 解放される唯一の道は、 自分は迷いだらけの愚か者だという、 その自覚だけ。 自分には智慧がある。 自分には理…

欲望は欲望に任せておけばいい

私たちは迷っています。 いつだって。 だから、私たちの欲望も、 その迷いから生じる欲望。 いつも揺れ動いている。 なので、本当はそこに 執着すべきものなんてない。 確かなものなんてない。 これは真実だ!なんて、 主張すべきものはない。 確かなものは…

わたしたちはいつも自分を棚に上げている。

世間はうそいつわりの世界ですって。 そのことこそが真実だと言われる。 うん、そうそう。 まったく、人間て自分の妄想に気づかず、 自分が正しいと思って、 世間を見下ろしてるんだよね。 他人のことばかりああだこうだ言って、 全く自分が見えていない。 …

迷ってばかりで、なにもわかっていない自分だと気づいて、そのままに生きなさい。

未来をあてにせず、 過去に捉われず、 新鮮に初心に、 今ここに生きるだけ。 そんな生命の赤裸々な姿。 う~ん、まぶしい!! °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖° そんな人は妄念になんの捉われもない。 「妄念」とは? これがなんと、 私たちの心の動きすべてだと言われる。 そ…