真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

「同情」は「よいことをする」という捉われから。独立者の「慈悲」とは、まったくの別もの。

(「犀の角の経」37-3を読んで)

 

哀れむこと 同情すること

これはいいことではないの?

 

誰かをかわいそうに思って声をかける。

力になってあげる。

そうできるのは優しくていい人ではないの?

 

ブッブー!

 

それは世間ではいいことと言われるかもしれない。

 

でも、そもそもこの、

「よいことをする」というのが

すでに捉われ。

 

ここに、自意識のおそろしさ、

自己肯定のおそろしさがある。

 

まさに自己束縛だと言われる。

 

そんなところに身を置いていると、

独立者の自由は達成されない。

 

薄情なようだけど、

自由を得た独立者は、

こういう同情は一切しない。

 

同情するのは、

目の開いていない人。

世間に捉われて、

そこでなんとか認められようとあくせくしている人間が、

「おかわいそうに・・・」と、

誰かにベタベタとくっついてゆく。

 

そして、相手の苦悩は、取り除かれるどころか、

倍加すると言われる。

 

ますます捉われて自由を失うのですね?

 

そんな同情とは違って、

「慈悲」というのは、

自由な独立者の、智慧に満ちた風光。

 

自ずから吹き来る涼風。

 

それは、「よいことをする」という捉われから、

離れたところにしか生まれない。

 

この自己束縛から離れた自由の独立者だけが、

人々を苦悩から解放することができる。

 

本当にその人が向かいたい方向へと、

解放していくことができる。

 

 

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