真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

パスーラの経(スッタニパータ)~争うほど真理から離れちゃう~

お釈迦様や、聖徳太子や、親鸞聖人や、キリストや・・・自覚者に会ってその言葉を聞いていながら、別の方向へ行ってしまう私たち

あなたが求めているものはそこにはない ~パスーラの経より⑤~ パスーラってなに?って思いながら読んでいたけど、 わたしたちのことだったんだな。 833-10 これとは反対に もう敵というものをもたない処に生きて 色々な考えに一つの考えを対立させな…

自覚者の真実の姿がここまではっきり示される

自覚者にとって戦わなければならないことなんてなにもない ~パスーラの経より④~ 831-8 たとえば王侯から食禄を得ている勇ましい人が 敵の中に強い相手を求めながら 叫び声をあげて突き進むように 勇ましい人は 敵の居る処へとび込んでゆくがよい そこ…

賢い人は論争を離れる。それが煩悩・苦しみのもとになることを知っているから。

論争に勝って得られるものは思い上がり ~パスーラの経より③~ 828-5 こんないい争いが道を修める人達の間に起ると 彼等の中に勝つとか敗けるとかいうことがあることになる こんなことをみてもひとは 論争を離れねばならない 何故ならそこには ほめられ…

自分の正しさを主張して認められたいと、偉そうな顔をして論争する人は・・・?

論争に負けると怒り悲しみ口惜しがることになる ~パスーラの経より②~ 825-2 この人達はひとといい争うことが好きで 集まりの中へ入ってゆき 互いに反対して相手を愚かなものと見なし 自分はほめられたいと思って 如何にも道理の解ったような顔をして…

善悪の判断も主張もいっさいない。世間で起こっている矛盾を、ただ冷静に指摘されるだけ。

あるものはあるがままによし ~パスーラの経より①~ 824-1 人々は「これだけが清らかだ」と主張して 外の教は清らかでないというー そして自分の立場だけを認めることによって 実は色々の 自分だけの真理というものにとりついている これが世間というも…

誰かを否定することは、自分を肯定すること?わからなくなったら、スッタニパータを読もう!

「これだけ」も「あれだけ」もない 仏法に対立はない ~スッタニパータ・パスーラの経より~ テレビを見ていたら、 偉いお坊さんが批難されていた。 「煩悩を捨てるために、 いろいろな修行をされてきたお坊さんが、 なぜ、こんなことするのか?」みたいに・…