自由の人と自由の人が、お互いの自由を認め合う世界。
私は毎田先生の、この表現が大好き!
彼が愛するものとは絶対自由の存在である。
何ものにも縛りつけられていないものである。
ただそこに自由の生命と生命とが触れ合い、輝き合い、
火花を発して、永遠の生命の大交響楽を奏でているのみである。
~ 釈尊にまのあたり(一) 解説 毎田周一 より~
これを読むたびに、わくわくしちゃう。
お釈迦様は、一子ラーフラのことも、
「この子親無し」と言われたそうです。
たとえ自分が生み育てた子どもであっても、
自分のものではない。
誰の所有物でもない、永遠の子だと。
愛欲もすべて真理の作用と見られる。
そもそも愛欲から生じたものなどどこにもないと。
すべては真理の作用によるものだということですね?
たとえ自分の子どもであっても、
自分が生きていくための条件として、
縛りつけるようなことはされない。
何かを所有し、支配しようとすれば、
自分自身も自由を失う。
そんなところには輝かしい生命の世界はない。
自由の人と自由の人が、
お互いの自由を認め合う世界にこそ、
生命と生命の触れ合いがある。
生命と生命の輝き合いがある。
そうして奏でられる永遠の生命の大交響楽に、
耳を済ませよう!!
なんてすてきな世界!!!
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