慈愛と愛著のちがいは?愛著から起こる嫉妬・怒り・不満・憂鬱の苦しみを脱するには?
スッタニパータ「犀の角の経」で語られる独立者は、
慈愛に満ちている。
独立者は何にも捉われない。
自分も自由だし、他の人の自由も認めている。
すべての人に、その人が生きたいように生きることを願っている。
それが慈愛なんだな。
聖徳太子の言われる「和」を実現できるのも、
この慈愛に満ちた独立者。
・・・というより、独立者でない限り、
「和」を実現することはできない。
ところが、それが愛著となると、
まったく違ってくる。
愛著とは、欲望に捉われて、
そこから離れられなくなること。
独立者の慈愛とは別物。
愛著は煩悩で、所有欲で、支配欲。
本来自由になるはずもない他人を支配しようとすれば、
そこには他人の自由との矛盾が起こって、
当然苦しみが生じる。
嫉妬・怒り・不満・憂鬱・・・様々な苦しみが・・・
この苦しみを脱するには、
自由であるべき自分と、
自由であるべき他人との間には、
所有関係・支配関係は成立しないという道理を見抜くことなんだな。
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