人を信じるということは、その人の真実と共に生きること
このガーターを読むと
わたしはわくわくして胸が高鳴る。
犀の角の経 45-11
もしも信の人 敬虔な人 智慧の人なる
明敏な友を得たならば
どんな危難をものりこえて 彼と共に
喜びに充ちて思いも深く歩いてゆこう
ああ~こんな人と共に生きていけたら・・・
そんなふうに考えるだけで
もう、文字通り、
どんな危難も恐くない!って思う。
信の人
それは、「真実」に自分を打ち任せる人。
真実を直観して、
真実と一体となって、
真実を行う人。
もう、言うことなすこと
すべてが真実において一致している人。
そして、こちらの真実ともちゃんと向き合ってくれる。
どんな人の奥にも
真実を見ている。
その人のありのままの真実だけを。
自分の偏ったものさしを持ち出してきて、
ああでもないこうでもないと理屈をこねる人には
この直観がない。
でも信の人はとにかく真実をまるごと受け止める。
そこに〇とか✕とかの評価もしない。
そして、「明敏な友」と言われる。
何の捉われもなく、爽やかで軽快。
打てば響く。
感受性が微妙に繊細に働いて、
すぐに的確な行動を起こす。
もう、そんな友を得ることができたら、
そんな友といっしょに生きることができたら、
どんなに喜ばしいことだろう?!
しかもこれは独立自由の道。
お互いになにも捉われることもなく、
妨げることもなく、
それぞれがそれぞれのすべてを尊重し合い、
刺激し合い、
お互いの人生は共に無限に展開していく。
なんてすばらしいんでしょう!!!
これは大歓喜の歌ですね!!!
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