最も根強く抜きがたい家族への執着を超えて
(犀の角の経38-4を読んで)
この世で最も根強く抜きがたい家族への執着。
それをこの経では、竹の根に例えられている。
この根を抜くことなくして、
決して世を超えることはできないと。
本当の自由を得ることはできないと。
ところで、どうやって竹の根を断つか?
それは筍に例えられている。
筍はからまる竹の根と戦ったりはしない。
戦えば戦うほど捉われることを知っているから。
それをどうこうして解決しようなどとは考えない。
ただ竹の根の上に立って、
これを超越して、
のびてゆくだけ。
筍の初心な瑞々しさ。
そこにこそ、創造的生命の独立の姿がある。
それは何ものにも妨げることはできない。
超越。
それは、ただ無視することでも、
ただ関係を断つことでもない。
単に「捉われない」ということ。
筍は竹の根なくして自分の生命がないことも、
重々承知している。
むしろ、筍にとって、竹の根は生命の基盤。
そこから栄養を吸収し、生かされている。
感謝もしているし、尊重もしている。
でも、捉われてはいない。
だからこそ、
天に向かってまっすぐに、
すくすくと伸びていく。
そこにこそ生命の躍進がある。
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