真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧

世間の人からは、薄情、無慈悲に見える自覚者の姿

ただ素直に真理に従っている彼は、情感に溺れることがない。 ~速やかなことの経より⑦~ 923-9 刺すような苦痛に会っても 修行者は決して泣き悲しまず どうしても生きたいなどと命を貪らず 恐ろしいものに出会っても震えぬがよい 目覚めた人の具体的な…

心が解放された、自覚者の必然的姿とは?

「欲しがること=捉われ=不自由」からの方向転換 ~速やかなことの経より⑥~ 922-8 「目に見えるものを貪り求めず つまらぬざれ言に耳を貸さず 美味なものを無闇に欲しがらず 世間の何事も愛好せぬがよい 目覚めた人の具体的な姿・・・それは? まずは…

目覚めた人の具体的な行為や生活について問う

「しなければいけないこと」ではなく、必然的に「そうせずにはいられないこと」 ~速やかなことの経より⑤~ 921-7 「明らかな眼を以てあなたが自ら証しせられた煩いを除く法を いまお聞きしました 尊き方よ 更に正しい行いについてお示し下さい 人の必…

他人をどうこうしようとする限り、平和へは至れない。救われていないのは自分一人。

自分の心の平和に専念すれば、真理は自然に他人の平和実現に向かう。 ~速やかなことの経より④~ 919-5 修行者は 心の内が静かであればよい 外の世界に平和を求めてはならない 心の内の静けさを保つものにはー 摑んでいるものがない どうして捨てねばな…

他人と比較なんてしているところには、懺悔も宗教も救いもない

ただ友として寄り添う姿 ~速やかなことの経より③~ 917-3 内界のことや外界のことについての 如何なる道理も それを知っているのはよいが しかしそれを過信してはならない 何故ならそれが苦痛を鎮めるなどと 目醒めた人はいわないからである 918-…

「自分の考え」というものが根本的に違うと気づくことで妄想を断つ。

「学ぶこと」=「思い上がりを捨てること」 ~速やかなことの経より②~ 916-2 「『自分を聖者のように』考える一切の妄想の と世尊はいわれた その根本を絶ち切って 内にあるどんな情欲をも取除こうと いつもはっきりと目醒めて学んでゆくがよい あらゆ…

物を見るんじゃなくて、自分を見るんだよ!

自分の愚かさに気づくことこそ、救いへの近道 ~速やかなことの経より①~ 915-1 「私は『太陽の親族』であられる偉大な聖者に 独立への道と 静けさの境地とをお尋ねします 修行者は どのように物を見れば 世間に少しも捉われず 情欲を離れることが出来…

もうすっかり肩の荷がおろされて、自由に解放されている人とは?

何もわかっていないということがわかっている人 ~大きい堆積の経より⑬~ 914-20 静かな人は この世のどんなことでも 自分の見解や学問や思想を拠りどころとして それを見ない 彼の肩の荷はすっかりおろされて 自由に解放されている そして時に流され…

煩悩は煩悩に任せる。世間のことは世間に任せる。薄情で無責任と非難されても、自分を責めることもない。

こういう「無」の自在の方が世間の人々の間におられることこそが大慈悲 ~大きい堆積の経より⑫~ 913-19 過去の煩いを捨てて 新たにそれを作り出さず 欲望をかきたてず しつこく論ずることもなく 聡明な人は 色々の物の見方に捉われない そして世間か…

私たちはみんななにか勘違いをしている。真の人の真のことばによくよく耳を澄ませてみなければ・・・

欲情を交えずに真意を直視する ~大きい堆積の経より⑪~ 912-18 静かな人は この世の中で色々のつながりに縛られることなく 人がいい争っても そのどちらへつくということもない 彼は不安にとりつかれた人々の間にありながら しかも安らかに 喜びも悲…

わかったような顔をして、偉そうにものを言う人こそが、まさに捉われている人?

今これを夢中で読んでいる私たちに向けた言葉 ~大きい堆積の経より⑩~ 910-16 自分の立場を離れないで論ずる人は 自分で考え出したその考えを 立派なものと思っているので その人に本当のことを悟らせるのは難しい 自分のとりついている処にだけ清ら…

「自分を見る」「自分を知る」の自分もなくなるってどういうこと?

自覚者の「自」もなくなった覚者 とは? ~大きい堆積の経より⑨~ 908-14 『私は知る 私は見る これが本当である』 というような考え方で ある人々はそこに清らかさがあると信じているが もし何かを見たとしても それがその人自身にとって一体何になる…

仏教なんてどこにもない!あるのはただ真理だけ。

仏教を本当に信じる人はそれにとりついて誰かと言い争ったりしない ~大きい堆積の経より⑧~ 907-13 自在の人には 他に導かれるということがなく 彼は色々の教を考察しても それにとりつきはしない そのようにして彼には 人といい争う余地がない 何故…

仏教という教えをでっちあげて、それだけに従おうとするのは、お釈迦様の教えに反すること。

どんな教えも、真理を知り、真理と一体になるための参考に過ぎない ~大きい堆積の経より⑦~ 907-13 自在の人には 他に導かれるということがなく 彼は色々の教を考察しても それにとりつきはしない そのようにして彼には 人といい争う余地がない 何故…

自分の考えが一番だという人たちが起こす論争の矛盾

「考え」という枠をはずしてしまえば無限の真理の世界が広がる ~大きい堆積の経より⑥~ 903-9 「ある人のこれこそ『最高だ』とする教を 反対するものが『詰まらない』といい こうしてみなで自分のこそ正しいというのであれば 一体これらの中で どれが…

世界に比類のない、永遠の生命の讃歌、自在なる人の讃歌

真理にすべてを打ち任せれば何も恐れることはない ~大きい堆積の経より⑤~ とにかくこれを読んでください!!この力強い解説を!! 真理は与ふべきものならば与え 奪うべきものならば奪う。 求めるまでもなく、 真理はその自己実現の壮麗な景観を、 私の前…

何かを実現するのは私ではなくて真理。それを認識すれば、そこに自分を解放するしかなくなる。

真理がわたしたちを通して実現する偉大な生命の展開を味わおう ~大きい堆積の経より④~ 902-8 熱望し 希求するものには その計らいゆえに おののきがある この世で 死も生もないものー 彼は何におののき 何を求めよう 何かを熱望し希求する。 計画して…

苦行も見解も学問も思想も一つも必要としない「無」の自在

それはただ直観する世界 ~大きい堆積の経より③~ 901-7 見るも厭わしい苦行の中へ身を投じたり 或いはまた見解や学問や思想の上に腰をおろしたりして 声高に清らかさをほめたたえるものは あれこれの生き方を願って 生きることを(一面的に肯定する立…

罪があるとかないとか・・・それどころか罪そのものを問題としない?

どこまでも捉われていく私たちをどこまでも解放しようと語られる ~大きい堆積の経より②~ 青天の霹靂! 最古の仏典にこんなことが書かれているなんて! 898-4 戒律を最高のものと考えている人は それを堅く守りながら 自分を抑制するところに 唯一つ清…

本当の「和」の実現を願う人は・・・

「人皆党有りて、又達(さと)れる者少し」 ~大きい堆積の経より①~ 本当に悟っている人なんて、 ほんのわずかしかいないんだな。 そして、世間の人の目には 残念ながらわからない。 895-1 「めいめいの物の見方で 『ここにこそ真理がある』といって争…