真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

清らかさの八つの経(スッタニパータ)~清らかさはそんなところにないよ~

煩悩そのものは「罪」でなく真理の作用 煩悩によって真理を汚すことが「罪」

自然な生命の働きがあるだけ ~清らかさの八つの経より⑧~ いよいよ清らかさの八つの経最後のガーターです。 795-8 罪の及ぶ境を超えて道に達した人には 何かを知っているとか見ているとかいうことが この人を拘束することにはならない 彼は貪ることに…

期待したり当てにしたり・・・自分の都合に合わせて物事が運ぶと思い込むのも偏見

立場がないことが「無」 ~清らかさの八つの経より⑦~ 794-7 彼らは何かを当てにせず 又何かを取り出してあがめることもなく これが「終極の清らかさだ」などともいわない そして世間に結ばれてゆくその執着を切り捨てて この世の何事にも望みをかけな…

「自分の考え」なんていう偏見はかなぐり捨てて、ありのままを直観するだけ

世間の人には理解できない ~清らかさの八つの経より⑥~ あ~これ、いいですね~ 793-6 彼はどんなことに向かっても 見たり学んだり考えたりしたことで自分を武装せず 物事をありのままに見 明るい心で生活してゆくー だからこの人は世間の人がこういう…

自分を自分でつくった枠に当てはめようとするのも偏見?

広やかな明るい心で ~清らかさの八つの経より⑤~ これ、他人事ではなくて、 自分を含めて人間の姿なんだな。 792-5 自ら戒律をきびしく守る人は 自分だけの思いに捉われて 思い上がったり卑下したりする しかし賢い人は深い智慧によって 真理を悟り 広…

正しいのはこの教え?あの教え?特定の教えにすがろうとする限り、真理に到ることはできない

どの教えにも捉われない ~清らかさの八つの経より④~ この教えに従えばうまくいくかな~?って夢中になる。 う~ん、なんか違う。 そして、また別の教えを摑んで、 「あ、これならうまくいくかも?」と、 またまたまっしぐら・・・ うん、でもやっぱ違う。 …

知識・学問・徳行・思想では清らかにはなれない

すべて払い捨てたところに・・・ ~清らかさの八つの経より③~ いよいよ清らかな人の姿が浮き彫りに・・・ 790-3 道に達した人は 他のことを 即ち知識とか学問とか徳行とか思想とかを 清らかであるとはいわない そうして善いことにも悪いことにも染まら…

欲望と人間の考えた智慧が混在するところに清らかさはない

真理から直ちに来るもの ~清らかさの八つの経より②~ ここに書かれていることは、 私にはすごくわかりにくいのだけど、 これを読み解かない限り、 真理には近づけない気がする。 では、まずガーターです。 789-2 もしも人がその人の物の見方によって …

真理の世界は、人間の見方、考え方の範疇には入らない

人間の智慧の枠を遥かに超えた世界 ~清らかさの八つの経より①~ この経は、またまた青天の霹靂です! 物事っていうのは こういうふうに見れば 苦しみから解放されるよ。 そういうときは こういう風に考えれば 気持ちが楽になるよ。 困難も こういうふうに解…

スッタニパータをヒントに、自覚者、自由の人、真実の人を見つけよう!

生きたお釈迦様を見つけてみたい ~スッタニパータ・清らかさの八つの経より~ 自覚者、自由の人、真実の人と言われる、 スッタニパータ出てくるような人って、どこかにいるかな? お釈迦様や、聖徳太子や、親鸞聖人や・・・ みんな歴史上の人ばかりだしな~…

思い上がりも卑下もしない、広やかな 明るい心で

起こっていることは、ただの現象。特別だけど、特別じゃない ~清らかさの八つの経より~ 認めてもらえると、思い上がる。 認めてもらえないと、落ち込む。 そんな毎日。 結局、キョロキョロおどおどしてるんだな~ まあ、いいか~ (-.-) じゃあ、きょうはこ…