真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

自分だけは自分をうらぎらないって確信がもてたら・・・

 

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この厳しい中にも愛のあるお言葉を自分にもう一度送ろう。

 

そう、嫌なことはやめるんです。

「人を傷つけたくない」と考えることは悪いことではないとは思うんです。思いやりがそういうふうに働くこともありますよね。

でもそれでもやっぱり、他者が傷つくかどうか、それがその人にとって悪いことなのかどうかは、わたしたちにはわからないものだと思います。それを、他人が勝手に決めることはできないと思うんです。

自他ともに幸せを願う上で、~   これは悪~く言えば「嘘」だと思うんです。  ~気づいていようといまいと、それは欺瞞だと思うんです。
自分のことをまずハッピーにできない人が、他者の幸せを心から願うことはできないと思うからです。

他の人だって、その人の幸せは本人にしかわからないというのに。だからその人が幸せを実現したければ、その本人がそれを優先していくしかないというのに。自分がそれをできなくて、人がそうするのをどうやって応援できましょう。

わたしがあなたを創った神さまだったら、可愛いあなたが好きにしていないことがなによりも悲しいです。

めちゃキツく言うと「自分を蔑ろにしていい人ぶってるからしたいこともできないんじゃないか?」となってしまいますが、『自分の好きなようにするということに注目し始めて、そこをなんとか突破してみたいと考えている』のって、自分を犠牲にしていることにすら気が付かないでいるよりもずっとずっといい。ずっと自分思いだと思います。

 

そんなあなただから、きっと人生のどこかのタイミングで、このモヤモヤを蹴破れますよ。大丈夫。そんなパワーが、あなたにはあるのだ!

 

 

そう、自分はいつだって自分と共にある。

 

嫌なことを「嫌だ嫌だ」という思いと戦いながらやっているとしても、それをしないことで、誰かの不機嫌に出会って傷つくことから、自分を必死で守ろうとしている自分がいる。

 

自分の本当の声に耳を傾けようとしているときも、その自分の願いを一生懸命叶えようとする自分がいる。うまくいかないことだってたくさんあるけど、諦めずにあの手この手で一生懸命叶えようとしてくれる。

 

でも、そんな自分を信じることができるようになったら、もういろんなことが(いい意味で)どうでもよくなってくる。

 

いざとなったら、自分は自分を守るために必死になってくれることも、自分の願いを叶えるために必死になってくれることもわかったから・・・。もう例え誰になんと言われて傷ついても、たとえ願いが叶わなくても・・・。どこにいても、どんな状況の中でも、自分だけは自分をうらぎらないって、少しずつ信じられるようになったから。

 

 

 

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