2018-01-01から1年間の記事一覧
未来へ未来へ・・・と望みをかけ過ぎると、 まだ来ない未来への願望で 頭がいっぱいになって、 今がお留守になってしまう。 過去のことを思い出しては、 「あのときはああだった。」 「このときはこうだった。」と、 振り返ってばかりも、 今がお留守。 これ…
いのちのありのままに生きること。 そこには心の調和がある。 欲望もすべて、 真理の作用と認識すれば、 何も慌て騒ぐ必要はなくなる。 思想的な枠にはめ込もうとして、 「こうしなければならない!」 「そのためには努力を、がまんを、しなければならない…
思想も固定なんだな。 一定の思想に捉われると、 無常そのものを捉えられなくなってしまう。 自分の思想をもちだして、 それと照らし合わせて、 現実というものを規制しようとしてしまう。 思想に合わないものを排除しようとしてしまう。 でも、現実は無常だ…
私たちはよく、 目的を定めて、それに向かって努力する。 でも、目的を決めるということは、 もうこれは固定なんだな。 だからその目的に向かっていくための、 いろんな考えや努力も、 固定に向かっていくものになってしまう。 その固定はとらわれとなる。 …
物事がうまくいくかいかないかに、 私たちはこだわりすぎてしまう。 どうしたらうまくいくかと、 あれこれ考えて、 努力して、 それでもうまくいかないと、 「こんなにがんばったのに~」と、 絶望する。_| ̄|○ でも、真理はうまくいこうがいくまいが、 そ…
人は、自分の勝手な妄想で、 「これはこう!」と決めつけて、 思い通りに動かそうとして、 しかも思い通りにならないと言って怒る。 でも、本当は、 物事は、人は、 ただ因縁によって動いていく。 変化していく。 いろんなことが組み合わさって、 いろいろに…
あるのは、そこに起こっている現象。 ただそのままの現象だけ。 その裏に何か実体があると思うのは、 私たちの妄想。 小さい子どもが、 鏡の裏をのぞいて、首をかしげているようなもの。 あるのは鏡に映った映像だけ。 それなのに、 ああでもない、こうでも…
お釈迦様がどうして、 自由自在に思いのままに生きられたか? それは、思い上がりを打ち砕かれたからなんだな。 世界の無常の流れを見つめて、 その真理から一歩も離れないで、 世界と一体になられた。 そこには主観的妄想の、 思い上がりのかけらもない。 …
私たちの欲望のもとは無知だと言われる。 流れる真理を固定して捕まえようとする、 捕まえられると勘違いしている、 その無知だと言われる。 これが思い上がりなんだな。 スッタニパータでは、 この思い上がりが「弱い葦の堤」に例えられる。 これほど、私…
欲望は止まらない。 死ぬまで止まらない。 一瞬も止まらない。 ひとつ叶えば次から次へ。 欲望は生きる原動力でもある。 この欲望を、 スッタニパータの中では、 激流に例えられる。 苦しみのもとにもなるこの欲望の激流を、 涸れさせるには・・・? その行…
スッタニパータ「蛇の経」の 最初のテーマは「怒り」 怒りは苦しみだよな。 怒りを抱くとムカムカするし、 誰かにぶつけると、 倍になって返ってくる。 やだね~怒りって・・・ 明るくて、屈託のない人は、 いつものびのびしている。 怒りっぽい人は、 いつ…
私の大好きな、100分de名著という番組で、 解説の先生が、 「古典は冷凍食品みたいなもの。」 と言われた。 長いこと、冷凍保存されたお宝が、 もっと知りたい! もっと学びたい! という情熱によって溶かされる。 冷凍のままでは、固くて冷たくて食べら…
我慢するんじゃなくて、もっと高次な快感を知ることで、執着から抜け出せる。 ~サーリプッタの経より⑯~ 974-20 又更に世の中には五つの汚れがある 深くものを考える人は それを除くことを学ばねばならないー 即ち形と声とそして又味と 香りと触れる…
自分の姿に気づかせてくれる他人の非難には喜んで耳を傾けよう ~サーリプッタの経より⑮~ 973-19 人から避難されたら その言葉を深く考えて (よくこそいってくれたと) 喜びを感ぜねばならぬ 共に道に勤しむ者に対しては 心を明るく開いて接し その…
すべては真理無常のしわざ。私たちにその責任を負う余地も能力もない。 ~サーリプッタの経より⑭~ 972-18 眼を下にじっと向けて うろうろと歩き廻らず 深い思いの中にあって 何事にもよく気づき 心の静けさを保って 喜びも悲しみも届かぬ処へ ゆきつ…
我慢でなく悟りからくる、すべてお見通しの言葉。 ~サーリプッタの経より⑬~ 971-17 ほどよい時に食物と衣服とを得たら それで充分に満足し その量に足ることを知って それに向かう心を引緊め 慎み深く村を行き 辱められても荒々しく言葉を返してはな…
人々を執着から解放する慈悲は具体的。具体的でなければ慈悲とは言えない。 ~サーリプッタの経より⑫~ 970-16 『私は何を食べようか』 『私はどこで食べようか』 『私は昨夜よく眠れなかった』 『私は今日どこで寝ようか』というー この四つの悲しみ…
暗さの影もない、ゆったりとした豊かな生活を楽しむ ~サーリプッタの経より⑪~ 969-15 智慧を尊び 善行を楽しみ 以上に述べた危難に打克ち 人里離れた臥せる場所の不快に堪えて 次にいう四つの悲しみをこえねばならないー 「智慧」とは、 自分をよく…
万人を慈悲の胸に包む、解放された慈悲の人には、好き嫌いをいう余地もない ~サーリプッタの経より⑩~ 968-14 怒りと思い上がりとの 力に屈せず それらの根を掘りつくして 立たねばならない そして又 好き嫌いをいうことを すっきりとあなたは 克服せ…
心の乱れに気付くこと、自覚することでしか、暗黒を取り払うことはできない ~サーリプッタの経より⑨~ 967-13 盗むことなく 嘘をつかず 弱いものにも 強いものにも 等しく慈愛を以て接するがよい 心の乱れに気付いたら 『暗黒の部分』が働くのだと そ…
病気になったらどうしよう?食べていけなくなったらどうしよう?という不安 ~サーリプッタの経より⑧~ 966-12 病気に罹り飢えに襲われても 又寒さやひどい暑さにあっても それを堪え忍ばねばならない ー殊に家を離れて修行するものに そういうことが…
どこまでもまっすぐに、誠心誠意真実のことばで ~サーリプッタの経より⑦~ こんな校長先生(お釈迦様)がいたなんて・・・ お会いしたいです! 965-11 異教を奉ずるものをも 恐れてはならない たとえ彼らに幾多の 恐るべきもののあるのを見てもー そ…
人間へも特別扱いしないで接する ~サーリプッタの経より⑥~ スーパー校長先生(お釈迦様)のお話も、 いよいよ本題に入ります! そして、その真実のお言葉に、 これはビックリ!そして、納得です。 964-10 いつも目覚めて 心をひきしめている聡明な修…
それを語られる、お言葉お姿が、まさに真理そのもの ~サーリプッタの経より⑤~ 教頭先生(サーリプッタ)の数々の質問を受けて、 やっと、待ちに待った校長先生(お釈迦様)の お話が始まりますよ! あ~、もう、教頭先生はじめ、 生徒たちがどんなに目を輝…
究極の問い=いかにして自分の汚れを除くか? ~サーリプッタの経より④~ 様々な束縛、 執着から解放されて、 自由の国へ向かうために学ぼうとする生徒たち(修行者)。 その生徒たちを率いた教頭先生(サーリプッタ)が、 校長先生(お釈迦様)にいろんな問…
生にしがみつくこともないから、恐れることもなにもない ~サーリプッタの経より③~ 958-4 世を厭うて修行するものが 人里離れた坐る場所や 木の根もとや墓場や 山々の洞窟や 959-5 高いまたは低い臥せる場所に 親しみ住んでいる時 そこにはどんな…
物事の本質をついた、真実のことばで ~サーリプッタの経より②~ 956-2 神々と世の人々とがじっと見ているその前で 『眼ある方』は 一切の暗黒を除き去り ただ一人深い喜びを享受せられました この、見たこともないような、 すばらしい校長先生(お釈迦…
どんなおバカさんにもスーッと入るように ~サーリプッタの経より①~ サーリプッタというのは、 お釈迦様のお弟子さんとして、 よくいろんなお話に出てくる、 智慧第一の舎利弗さんのことらしい。 お釈迦様が校長先生とすると、 サーリプッタは教頭先生みた…
捉われの可能性を徹底的に払う ~杖を取り上げるものの経より⑱~ 954一20 静かな人は 自分を等しいものの仲間であるとも 劣ったもの あるいは 勝れたものの仲間であるともいわない そうして安らかに 利己心を離れて 取ることもなければ また捨てること…
不動の人は無為自然の人 ~杖を取り上げるものの経より⑰~ 953-19 情欲を離れて 智慧の目の開けたひとには 何かをしようとすることが 全くない 彼は何かを得ようとつとめたりなどせず 到るところに平安を見出している 永遠の生命によって もうすでに成…