思い上がりが打ち砕かれない限り、真理は認識されず、欲望からも解放されない。
私たちの欲望のもとは無知だと言われる。
流れる真理を固定して捕まえようとする、
捕まえられると勘違いしている、
その無知だと言われる。
これが思い上がりなんだな。
スッタニパータでは、
この思い上がりが「弱い葦の堤」に例えられる。
これほど、私たちの思い上がりは、
吹けば飛ぶようなものだと。
そして、真理の力を「洪水」に例えられる。
真理の力(洪水)はあまりにも強くて、
私たちの思い上がり(弱い葦の堤)なんて、
簡単に押し流されてしまうのだと。
主観的に考えて、
この世をああしよう、こうしよう、なんて考えている、
その思い上がりは、
次々に真理の力によって押し流される。
そんな主観的、一面的な妄想は、
ちっとも世界の法則に適っていない。
それがわからないと、
「どうして思い通りにならないんだ?!」
と言って、怒ったり嘆いたりする。
この思い上がりを打ち砕かない限り、
真理というものは認識されないんだな。
真理は決して捕まえられるものではないと、
悟ることができれば、
もう欲望に振り回されなくなるんだな。
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