不満を言ったり、言い返したりすることは、捉われ。自分を貶めること。
我慢でなく悟りからくる、すべてお見通しの言葉。
~サーリプッタの経より⑬~
971-17
ほどよい時に食物と衣服とを得たら
それで充分に満足し
その量に足ることを知って
それに向かう心を引緊め
慎み深く村を行き
辱められても荒々しく言葉を返してはならない
「きょうはこれだけか・・・」
「これじゃあ腹が減って歩けない」
そんな不満を抱くこともなく、
与えられたもので満足し・・・
「やい、乞食!」
「どうしてそんな汚い恰好をしているんだ!」
「どうして働かないんだ!」
そんな罵声を浴びせられても、
決して腹を立てて言い返すなんてことをされない。
我慢するというより、
そんなことは捉われで、
自分を貶めることだと悟られているんだな。
足るを知り、誰になんと言われようと、
ひたむきに信じた道を悠々と歩かれる姿。
尊いですね。
このお話を、
教頭先生(サーリプッタ)や生徒たちは、
どんな思いで聞いたのでしょう?
「ああ、校長先生(お釈迦様)も
そんな経験をされたんだな~」
わたしも生徒の一員になったような気分で、
このお話を初めて聞いたときは、
なぜだろうか?
涙が出ましたよ。(ToT)
校長先生は、
わたしたちの苦労も悩みも、
すべて経験済み、
すべてお見通しなんですね。
つづき↓
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