しぶとい思い上がりの根を掘りつくして、怒りから解放された「無」の人
万人を慈悲の胸に包む、解放された慈悲の人には、好き嫌いをいう余地もない
~サーリプッタの経より⑩~
968-14
怒りと思い上がりとの
力に屈せず
それらの根を掘りつくして
立たねばならない
そして又
好き嫌いをいうことを
すっきりとあなたは
克服せねばならぬ
自分を見ればわかるけど、
思い上がりはしぶとい。
いくらたたいてもたたいても
出てきちゃう。
そもそも、怒りがわくということは、
そのもとに必ず思い上がりがある。
自分がちょっとでも正しいと思うから、
人に対して怒れちゃう。
もう、自分そのものが過ちの塊だと 気づかない限り、
「無」として立つことはできない。
「無」として立つことができれば、
そこには執着から解放された自由がある。
「無」の人は人に対して怒るどころか、
すべての人を慈悲の胸に包み込んでしまう。
そこには、好き嫌いをいう余地もない。
こうして校長先生(お釈迦様)は、
万人を平等に真理の顕現として、
等しく愛しいものとして、
わが胸の中へ抱きとられるのですね。
つづき↓
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