真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

しぶとい思い上がりの根を掘りつくして、怒りから解放された「無」の人

万人を慈悲の胸に包む、解放された慈悲の人には、好き嫌いをいう余地もない

サーリプッタの経より⑩~ 

968-14 

怒りと思い上がりとの

力に屈せず

それらの根を掘りつくして

立たねばならない

そして又

好き嫌いをいうことを

すっきりとあなたは 

克服せねばならぬ 

 

自分を見ればわかるけど、

思い上がりはしぶとい。

 

いくらたたいてもたたいても

出てきちゃう。

 

 

そもそも、怒りがわくということは、

そのもとに必ず思い上がりがある。

 

自分がちょっとでも正しいと思うから、

人に対して怒れちゃう。

 

もう、自分そのものが過ちの塊だと 気づかない限り、

「無」として立つことはできない。

 

「無」として立つことができれば、

そこには執着から解放された自由がある。

 

「無」の人は人に対して怒るどころか、

すべての人を慈悲の胸に包み込んでしまう。

 

そこには、好き嫌いをいう余地もない。

 

こうして校長先生(お釈迦様)は、

万人を平等に真理の顕現として、

等しく愛しいものとして、

わが胸の中へ抱きとられるのですね。

 

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