自分の愚かさを自覚さえすれば、そこから慈悲行は自然に出てくる。
暗さの影もない、ゆったりとした豊かな生活を楽しむ
~サーリプッタの経より⑪~
969-15
智慧を尊び
善行を楽しみ
以上に述べた危難に打克ち
人里離れた臥せる場所の不快に堪えて
次にいう四つの悲しみをこえねばならないー
「智慧」とは、
自分をよく見つめて、
自分の愚かさを自覚することですね。
キョロキョロ人のあらばかりさがして
目くじら立てて不満たらたら・・・
なんていう姿の正反対ですね。
あ~人のことを言っている場合じゃないぞ。
自分は何を偉そうにしているんだ?と、
その醜い姿に気づくこと。
でも、私たちはなかなか気づけない。
気づいたとしてもすぐ忘れて、
気がつくとまた思い上がっている。
その自覚さえあれば解放されるのに。
その自覚からは、
もう自然に慈悲が出てくる。
その善行を楽しみなさいとおっしゃるんですね。
それは、なんという、ゆったりとした、
豊かな生活でしょう?!
たとえどんなに貧しく、
不便な生活でも、
そこには、きっと、
暗く沈んでうじうじしたり、
人をねたんだり、
不満を抱えて不機嫌になったり、
なんてことは一切なくなるのでしょう。
そして、次のガーターで、
そこに至るのに、超えなければならない、
四つの悲しみについて語られる。
その語りにまた
校長先生(お釈迦様)のお人柄が滲み出る。
厳しい現実を具体的に上げられながらも、
やさしく穏やかに、
暖かく包み込まれるように語ってくださるのですね。
つづき↓
☆彡書店開いています!☆彡
☆彡 もうひとつブログ始めました!☆彡