真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

他人と比較なんてしているところには、懺悔も宗教も救いもない

ただ友として寄り添う姿

~速やかなことの経より③~

917-3

内界のことや外界のことについての

如何なる道理も 

それを知っているのはよいが 

しかしそれを過信してはならない 

何故ならそれが苦痛を鎮めるなどと 

目醒めた人はいわないからである 

 

918-4 

それによって 

自分を勝れているとも 

劣っているとも 

また等しいとも 

思わぬがよい 

そして色々なことを人から問われても 

自分をひとかどの者と思って

相手に対せぬがよい

 

世の中には

「こうすればよい」「ああすればよい」と、

いろいろな教えが体系化されている。

 

そういうものを学んで知っているのはいいけれど、

それを過信してはならないんだな。

 

目覚めた人は、

「この教えに従えば、苦痛を鎮められる」

なんて言わない。

 

そして、そういういろんな思想を自分に当てはめて、

他の人と比べて、

どっちが優れているとか、

どっちが劣っているとか、

同じ程度だとか、

比べることは愚かなことだと言われる。

 

それはすべて自分だけのことであって、

比較なんてしているところには、

懺悔も宗教も救いもないと。

 

そして、人からものを問われたら、

自分がなんでもわかっているような、

対し方、接し方、話し方をしない方がよいと。

 

自分が師として、

弟子に向かって上から教えてやろうなんていうのでなく、

ただ友として、仲間として、

その人の問いを理解しようと寄り添って、

いっしょに考えていかれたお釈迦様の姿が浮かぶ。

 

 

 

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