真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

煩悩は煩悩に任せる。世間のことは世間に任せる。薄情で無責任と非難されても、自分を責めることもない。

こういう「無」の自在の方が世間の人々の間におられることこそが大慈

~大きい堆積の経より⑫~

913-19

過去の煩いを捨てて

新たにそれを作り出さず

欲望をかきたてず 

しつこく論ずることもなく 

聡明な人は 

色々の物の見方に捉われない

そして世間からは汚されず 

われとわが身を責めることもない

 

 煩悩には、自らそれを断つ法が備わっていると言われる。

 

だから、煩悩をどうやって処理したらいいかなんて

戸惑う必要はなく、

煩悩は煩悩に任せておけばいいと言われる。

 

遊戯三昧っていうのは、

欲望の道とは違うんだな。

 

欲望を満たそうと、

世間の生活に入っていけば、

逆に世間に捉われて、

自在を楽しむ道から遠ざかってしまう。

 

様々なことがいろいろに重なり合って、

展開しているこの無限の世界を、

限りある人間の知性で、

明らかにできると勘違いして

しつこく論ずることは、

愚かなことだと言われる。

 

難しいことをごたごたと

しつこく論ずるのは、

自分がわかっていない証拠なのだと・・・。

 

そして、世間の問題に介入せず、

世間のことは世間に任せる。

 

わかっていない人から

「あの人は薄情で無責任だ。」

なんて非難されたとしても、

「ああ、わたしはなんて非人情な人間なんだ・・・」なんて

自分を責めるようなこともない。

 

こうした「無」の自在の方が、

不安にとりつかれてうろうろしている、

世間の人々の間にいらっしゃることこそが、

正に大慈悲なのだと・・・。

 

 

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