真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

世界に比類のない、永遠の生命の讃歌、自在なる人の讃歌

真理にすべてを打ち任せれば何も恐れることはない

~大きい堆積の経より⑤~

とにかくこれを読んでください!!この力強い解説を!!

 

真理は与ふべきものならば与え

奪うべきものならば奪う。

 

求めるまでもなく、

真理はその自己実現の壮麗な景観を、

私の前に展開し十全にみせしめ、

観賞せしめてくれているではないか。

 

複雑無限、千変万化、正に光明無量・寿命無量の、

永遠の生命の大活躍のあくなき、

汲めども尽きぬ味わいをもてる、

生命の醍醐味を、

そこに現に味わしめてくれているではないか。

 

求める処か、求める前に、既に々々、

私達がちっぽけな心で求める以上の巨大な、

無限に巨大な、生命の実相を、

そこに与えてくれているではないか。

 

永遠の生命を見よということは、

それを心ゆく迄味わえということである。

 

つまりそれを体験しそれを生きよということである。

 

永遠の生命はその内奥までも包み隠すことなく、

全面露呈して、

私たちの見るまま、味わうまま、体験するまま、

生きるままとなさしめている。

 

永遠の生命の眼前の全露呈とは、

真に何をしてもよいぞということである。

 

私を完全に自在に、解放してくれているのである。

 

汝の為すまま、欲するままと、

私をここにあらしめて下さっているのである。

 

この無碍自在へ全く私を包容摂取せる

永遠の生命の中にある私、

まさしくそれを生きる私、

そこに何に戦くことがあり、

又何を求めることがあろう。

 

既に永遠の生命が完全に、

全一に、十全に、余すところ、隠すところなくして、

私たちに与えられて終っているのに。

(毎田周一先生「釈尊にまのあたり」~スッタ・ニパータ902-8解説より)

 

毎田先生は言われる。

 

私たちは

「無」の自在の高らかに詠い上げられた

この902のガーターを、

ただ真理の名において讃嘆するのみだと。

 

まことに簡潔な四行の文字。

世界に比類のない、永遠の生命の讃歌、

自在なる人の讃歌であるこのガーターを。

 

 

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