真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

世間の人からは、薄情、無慈悲に見える自覚者の姿

ただ素直に真理に従っている彼は、情感に溺れることがない。

~速やかなことの経より⑦~

923-9

刺すような苦痛に会っても

修行者は決して泣き悲しまず

どうしても生きたいなどと命を貪らず

恐ろしいものに出会っても震えぬがよい

 

目覚めた人の具体的な姿のつづき・・・

 

前ガーターは納得できたのだけど・・・

このガーターは厳しい

 

苦痛の例としてあげられるのは・・・

病苦、外傷などの肉体的苦痛と、

迫害、社会的圧迫、侮蔑、中傷、屈辱、裏切り、凌辱、

強権の圧迫、牢獄への束縛などの

外部からくる精神的苦痛、

そして、過失、恥辱、汚濁、失意、絶望、

愛するものの死、不幸、悲惨など

自ら心いたましめられるものがあげられる。

 

わたしたちは、苦痛に会ったら悲しいし、

死にそうになったらきっと、

生きたいと思うし、

恐ろしいものに出会ったら、震えるに違いない。

 

でも、自覚者は、

どんな苦痛や恐ろしいものに出会っても

嘆き悲しんだり、

震え戦いたりしないと言われる。

 

彼は、決して苦しいことや恐ろしいことを、

がまんするのではなくて、

 

真理を認識することだけに専心する。

 

だから、情感に溺れるということができない。

 

すんなりと素直にただ真理を見ようとしているだけ。

 

そのために、世間の人からは、

薄情とか、無慈悲とかと思われる。

 

そして、ただ真理を生きるだけの彼は、

すべて真理に身を任せている。

 

命を貪ることもない。

 

こんな人、映画やドラマの中でしか見たことないや。

 

 

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