真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

川の流れのようにさらさらと・・・

毎日投稿の壇珠さんの記事が、毎日なのに、一日分の記事からもいろんな学びがあって、盛だくさんすぎて、もうすごすぎる。一日で消化しきれない。

 

今日は一番ハッとしたところにポイントをしぼって、じっくり考えよう。

 

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わたしは、生き方なんてどうでもいいと思うし、自分を持っているかどうかなんてどうでもいいと思う。自分らしさなんて、握るため、大切にするためというよりも、捨てるためにあるようなものだと思う。
世の中で、生き方を指南している人は多いけれど、そもそも何かを目指すなと言っている人は少ない。自分を持て、というのはどこかで聞きかじった体のいい言い回しだと思う。はっきり言ってクソくらえだ。嘘をつくなと思う。いいから遊べよと思う。そんなことを考えていると安眠などできない。ぐっすり安眠できない人は人生も安らがないものだ。

自分というものはあるようでないもの。だから、「これが自分だ」と言いたくなるようなこだわりは捨て続ければいい。自分を握っているよりも、手ぶらな方が気楽だ。
「これがわたしなんです」と堂々と言える人になることなんかよりも、自分にとって嫌な思いをする原因になった人の幸福を願うような感覚でいるほうが、はるかに安楽だ。それには、この世を遊ぶ感覚が鍵になる。自分を守ることに真剣になりすぎると、遊びだと忘れてしまうからね!

わたしが一番ハッとしたのはここです!

 

今まで自分を汚すものと一生懸命戦ってきたな。

自分を見失うまいとして、自分をどこかにさらっていこうとするものに、一生懸命抵抗した。そんなときわたしはとても頑なだ。とても怖い顔だ。きっと。

でも、自分はもう、放っておいても大丈夫な感覚がいつのまにか身につきつつある。自分を必死になって握りしめなくても、日々出会うものと共にサラサラと流れて変化していって、その変化を楽しんでいる感覚・・・。

きょうの壇珠さんの記事を読んで改めて思った。

もういいんだな。握りしめなくて。毎日の景色を楽しみながら、流れに身を任せて行っても・・・。きっと最後は広い広い大海に流れ着くんだな。そんな予感がなんだか嬉しい。

 

ここまで書いて、昔、新卒の頃、中学生と歌った『河口』(混声合唱組曲筑後川』より)という合唱曲を思い出した。

♪ フィナーレを フィナーレを こんなにはっきり予想して 川は 川は 大きくなる ♪

♪ 水底の魚たち ああ可愛い魚たち 岸辺の虫たち ああおどけた虫たち

 中洲のかれんな小鳥たち さよなら さよなら 川は歌う さよなら~ ♪

♪ 筑後平野の百万の 生活の幸を 祈りながら 川は下る 有明の海へ~ ♪

♪ 筑後川 筑後川 そのフィナーレ ああ~ ♪

 

一滴の水が生まれて流れ出す。その流れはだんだん川幅を広げながら、時には岩にぶつかって水しぶきを上げたり、ダムにせき止められたり、滝になって激しく流れ落ちたり・・・次々と出会いと別れを繰り返しながら、長い長い旅を楽しむ。人々の生活を支え、人々の幸せを祈りながら、最後は広い広い海に流れていく。

子どもたちが自分たちの成長した姿と重ね合わせながら、卒業の年に歌った『河口』の力強い歌声は、もう、本当に本当に感動的で、何十年も経った今でも耳に残っている。

 

続いて『川の流れのように』が流れてきた。(頭の中にね。)

でこぼこ道や、曲がりくねった道。地図さえないのよ。人生には・・・

♪ ああ~川の流れのように おだやかに この身をまかせていたい~ ♪

 

川の流れのように、日々流れていく景色を楽しみながら、さらさらいきたい。

 

 

今思い出した過去記事です。よかったら読んでください。↓

yumbe2525.hatenablog.com

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