真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

友だちになろうよ!

 

今日は朝からプチ不快なことがあって・・・

なんだよなんだよ!って思った。

毎日壇珠さんの記事を読んで、あんなに純で清らかな気持ちになれるのに・・・神様はそんなわたしを試しているのかな?これでも清らかな気持ちでいられるかあ?みたいに・・・

 

ときどき、いい気になっていると、それは突然やってくる。

「わたしはあなたのせいでこんなに機嫌が悪いのよ!どうしてくれるの?」みたいな・・・

そんなとき「あ~ごめんなさい!」ってなって罪悪感に打ちひしがれると、こっちまで嫌~な空気を出してしまうので、落ち着いてさらりと対応する。これがわれながらなかなか上手になってきた。( *´艸`)

これ、ちゃんとクリアしないと、神様は同じような試験を何度もしかけてくるから。

 

そして、こちらの記事です!なんというよいタイミング~~~!

 

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友だちの定義をどんどん広げていくお話。

この「友だち定義」が広がっていくのをちょっとわたしなりにまとめてみると・・・?

 

互いに好きなところのある相手(家族・恋人も友だちってなるね?)

互いに心地よくすることのできる関係(動物・昆虫・植物もかい?)

互いに好きで、実際に関わりを持つだけのご縁のあるもの(地球や地球外生命体はどうなの?月とかも友だちとは言い難い?)

「ああ君よ、よくぞそこにいてくださった!」という関係(わあ~それなら月だろうが宇宙だろうがすべてということになる!)

・・・

でも宇宙のすべてが友だちだなんて「なんじゃそら感」が強くなっちゃうから・・・

本当は何もかもが友達だけれど、自分との関わりを親しみを持って実感できるものってことにしよう!

 

 

・・・ということは?・・・

親しみをもてさえすれば、どんなものとも友だちになり得るってこと?

すばらしいじゃないですか\(◎o◎)/!

 

親しみをもって実感する瞬間は、どんなものとも友だちってなると、わたしはいろんなものとも、その瞬間瞬間、友だちになったり、友だちでなくなったりしているなあ。

 

つまりは、わたしの友だちは誰と誰!って決めてしまわなくてもいいわけだ。いつだって友だちって思える人もいるし、ときによって友だちと思えたり思えなかったりする人もいる。でもそれって結局はすべてのものと友だちになり得るということにもなる。

それって嬉しい感覚!

 

せっかくなら、頭を粘土みたいに柔らかくして、自分とは関係がない、親しみも持てない、と思っているものへの見方を変えてみたい。絵に描いてあるものを友達だと無邪気に言う子供のように。。。さすらば、世界はきっと真新しいものとしてわたしたちの目に映るであろう!

 

関係ないと思っていたものが、あるときふとしたことで、身近に感じる。

その瞬間から友だちになれる!

 

なんだかまわりを見回すと、目に映るすべてのものがわたしに囁いてくる。(気がする)

本棚の本たちも、テレビも時計も、ペン立てにならんだペンたちも・・・

「チュンチュン・・・クワックワッ・・・チチッチチッ・・・」って鳥たちの声も、木々も、木の葉も、雲も、風も・・・あっちからもこっちからも・・・

 

ひょっとしたらひょっとして、今朝の不快な一件も、それだったのかもしれない。

なんだよなんだよ!それならそうと言ってくれればよいのに・・・

 

 

友だちになろうよ!

 

友だちになろうよ!

 

友だちになろうよ!

 

友だちになろうよ!

 

 

わかった!

 

わかったから!

 

わかったから!

 

わかったから!

 

 

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