真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

本当は仏教なんてどこにもない。お釈迦様がわたしには「説く」ことがないっておっしゃっているんだから。

ただ「無」のお釈迦様の姿があるだけ

~マーガンディヤの経より①~

 

お釈迦様のおっしゃることがなかなか理解できなくて

トンチンカンなことを言っているマーガンディヤは

まさにわたしみたい。

 

だから何度もこの経を読んじゃう。( *´艸`)

 

837-3

「『私はこのように説く』ということが抑々(そもそも)

私にはないのである

         マーガンディヤよ と世尊はいわれた

この世にある色々の事に

とりついてゆく自分であることを知って

私は色々の見解に接しても 

それを一つも取り上げないことにした

こうして始めて私は自分の中に 

平安を見出したのである」

 

毎田先生は、「仏教」ということばが危険だと言われる。

 

お釈迦様に教えがないとおっしゃっているのに、

その「教え」というものにとりつくことになれば

おかしなことになると。

 

ただお釈迦様の姿を見なさいと。

 

そうだ!

そのために・・・

お釈迦様の姿を一番まのあたりにできる

最古の経典であるこの「スッタニパータ」を

読んでいるわけだった。

 

そしてここには、

「この世のすべての見解を

一つも取り上げないことにした」とある。

 

なにかを摑めば、

それにとりつくことになる。

 

なにかにとりつけば、

真理から離れることになる。

 

そこには苦悩が生じて

自由はなくなる。

 

だから摑んでいるものを

すべて手放したんですね。

 

方法も目的も手段も・・・

立場も考えも・・・。

 

そうすれば、ただちに生命は

ありのままの生命そのものとなって

輝き出す。

 

それこそが「無」の平安だと言われるんだな。

 

このことが、どうしても、どうしても、

ど~うしてもわからなくなって、

すぐにいろんなことに捉われてしまう。

 

だから、毎日スッタニパータを読んでるんだった。

 

 

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