真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

善良くんは信じ続けていれば喜びと共に芽吹いてくる

これを実践したら、奇跡が起きる!

じっくりじっくり読んで、実践してみよう!

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わたしたちに、いろいろな迷いや苦しみ(=煩悩)が感じられるときには、「これはただくっついてしまっているものだ、本来のわたしではないのだ」と思ってみる。本当のことだから大丈夫だ!そのままGOひろみである。

そして、そのくっついているものを相手にしない。もうこれ本当に重要だから自分で書いておいて赤ペンを引きたいよ。。。煩悩を相手にしてなんとかして消そうなどとしなくてよくて、そっちは放っておいて(そんな自分は遠目に眺めて可愛いものだと思っておけばよし)、本来のわたしは善良なんだということを心に思うのが、バルサン並みに効くのである。

 

本来わたしたちは善良だ!その証拠に・・・

本来のわたしたちは、誰かが高いところから落ちそうになっているのを見たら、誰か助けてやって!!落ちないでー!!と思ってしまうし、もし足を踏み外して落ちるのを見てしまったら大変なショックを受ける。

子犬がポテポテ歩いているのを見ると、つい微笑んでしまう。もしそれを傷つけようとするものを見たら、やめてー!と思ってしまう。
ついつい善良である。努力なしに。

 

だから、わたしたちがなにかに迷ったときは、そのことを思い出そうではないか・・・なにかを恨んでしまうときも、なにかを許せないときも、ケチなときも、心が狭いときも、頭にきたときも、悲しいときにも。

 

そして、ここ大事!

その迷いを抑え込まず、善良に「なろう」となどしないで、「わたしは今この状態だけど、本来は善良なんだよな」と思い出すだけだ。
簡単、楽ちん・・・!

「なろう」となんてしなくていいんだ。

 

「こんな風になることだってあるけど、本当はいいやつなんだよな・・」とただ思い出す。心はもちろんついてこない。でも、その迷っている自分のことを、少なくとも「これが本来の自分だなんて、なんて醜いんだ」と思わずに済む。これを日常的によくやっていると、自分を善良だと感じる感覚のほうが、根を張るように定着してくる。そしてあるとき、迷いの方を破って出てくる。これが面白い&感動的だから、やってみていただきたいのだ。。。

 

こういうことなのかな~?

 

煩悩くんと善良くんがいて、煩悩くんが現れたときに、

「おのれ~!煩悩のやつめ!やっつけてやる~!」って言って、戦おうとすると、煩悩くんはますます燃え上がってムキになって最強になって、ますますそれを何とかしようとあくせくしているうちに、善良くんはすっかり影をひそめて消えそうになってしまう。

でも、煩悩くんと善良くんを戦わせずに、ただそのまま放っておいて、

「大丈夫!善良くんはいつもいるよ。ここにいるよ。」って、善良くんの存在を忘れずにいると、いつのまにか煩悩くんも静まって、善良くんに変身しちゃうってこと?!

 

そりゃあ面白いよな~?!感動的だよな~?!

 

ここからもっと具体的に、その過程を丁寧に説明してくださっている。

『悲しみ→怒り→悪意→罪悪感→自己嫌悪→望み』とたどる間、ずっと善良くんを信じ続けていれば、いつのまにか煩悩くんも善良くんに変身するんだな。本当にいつのまにか・・・それは大きな喜びにちがいない!

悲しい気持ちでいっぱいのときにも、自分が善良だと思い出していると、はじめは「こんなに善良なわたしを傷つけたんだと思うと、もっとあいつが許せない!」と思ったりする。そのとき、悲しみから怒りが湧いてくる。


その怒りでいっぱいのときにも、自分は本当は善良だ、と思っていると「そんなことないよ、相手に復讐したいくらいだもん」と思ったりする。
そのとき、怒りから悪意が出てくる。

 

その悪意でいっぱいのときにも、それでも自分は善良なんだったな、と思っていると「やっぱりそんなことない。こんなに腹黒いんだもん・・」と思ったりする。そのとき、悪意から罪悪感が出てくる。


その罪悪感でいっぱいのときにも、それでも善良だなんてね、、と思っていると「なんでそう思えないんだろう、自分ってダメだな」と思ったりする。そのとき、罪悪感から自己嫌悪が出てくる。

 

その自己嫌悪でいっぱいのときにも、それでも善良ってか・・ハァ・・と思っていると「そうだったらいいな・・・」と思ったりする。そのとき、自己嫌悪から望みが出てくる。


その望みでいっぱいのときに、わたしって善良なんだよね、、と思っていると「気持ちがついてこなくても、そうなんだってことにしよう」と思ったりする。そうしたらきっと、そこから滑り出すように、善良だと知っていてよかった。。。という気持ちがちゃんと芽吹いてくる。自分の優しさ清さに自分で喜ぶ時がくる。

 

望みに至ったとき、善良くんは喜びと共に芽吹いてくるんだな。嬉しいね!感動的だね!

あんなにがんばってやっつけようとして、戦っても戦ってもやっつけられなかった煩悩くんが、いつのまにか善良くんになっちゃうんだから。

「え?こんなことだったの?!」「こんな楽ちんなことだったの?!」ってびっくりしちゃう!

 

この「自分って生まれつき善良なものらしい」ということを、頭の片隅に置いておき、ことあるごとにそれを思い出すという『忍法「われ性善なり」』を使うと、他者のことも善良だと思い出せるのが嬉しきところ。最高の副産物である!どうか、楽しい心理の遊び方として、気楽に使ってみてね。

 

これ、自分はもちろん、誰かにもやってみたら、すごいことが起きる気がする。最後は善良くんを信じ続けてよかった~!ってものすごい感動する!!

これはまさに奇跡だ!!!

 

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