真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

ホントはこんな簡単なことだよ。平和を実現するのは。スッタニパータに耳を傾けてみて・・・

心に刺さった矢を抜きさえすれば・・・

~スッタニパータ・杖をとりあげるものの経より~

 杖をとりあげるものの経 のつづき・・・

 

936-2

水の少い処ではねかえっている魚のような人を見

また互いに反目している人達を見て 私は恐ろしくなった

 

辛辣です! こわいよ~!

水の少ないところで、はねかえっている魚。

それだけでも苦しいのに、

そんな魚と魚がにらみ合っているなんて、おそろしすぎる。

 

本来いるべきところは、

魚にとっては水。人間にとっては真理。

 

魚は、水を支配しているんじゃなくて、

水の中で生かされる。

 

人間は、真理を支配しているんじゃなくて、

真理の中で生かされる。

 

それなのに、支配できると思って、

夢中になる。

 

支配できっこない世界を、

支配しようとするから、

逆転して、ひっくりかえって、

苦しむことになっちゃう。

 

苦しいよ~!

こんなのは苦しすぎるよ~!

早く気づかせて~!

 

 

938-4

そこには必ず行き詰まりがあり 

人がそれにぶつかってどうにもならぬのを見て

私は不愉快になった

そうして一見しては解らない矢が 

彼等の心中に刺さっているのを見た

 

 

こんな魚(人)は、

必ず最後は真理の壁にぶつかるんだな。

 

想定外のことが起こって、

支配しきれなくなって、

それでも、なんとかしようと、もがいて・・・

 

結局、壁にぶつかって、

どうにもならなくなる。

 

そんな姿を、あちこちに見て、

お釈迦様は不愉快になられたんだな。

 

そして、心に矢が刺さっているのを見られた。

 

本人たちは、その矢によって苦しんでいるのに、

矢が刺さっていることにすら、気づいていない。

 

そして、きっと、

「こんなはずはない!どうして、こんなことになるんだ~!!」

と、叫び狂っている。

 

あまりの嘆かわしい姿に、

しらんぷりできなくなって、

さすがのお釈迦様も、

なんとか救ってやらざるをえない気持ちになられたのかな?

 

真理は、気づかない人にとっては、

壁でしかない。

 

でも、その壁にぶつかって、

動けなくなったとき、

もう、真理をそのまま受け入れて、

それに従うしかなくなる。 

 

心に刺さった矢が抜けさえすれば、

真理が見えて、もうどこにもぶつからず、

苦しまずにすむんだな。

 

この矢を抜くには、

真理のことばに耳を傾けるしかない。

 

 

939-5

この矢の刺さった者は 

あらゆる方向に駆け廻るのであるが 

その矢を抜いてさえしまえば駆け廻ったり 

はては身動きならぬことにならなくてもよいのである

 

「あれしなきゃ!これしなきゃ!」

「あ~忙しい!あ~疲れる!」

なんていうことの、恥を知りなさい!

って毎田先生は言われる。

 

しなければならないことなんて、

この世にはなにもないと・・・

 

毎日、しなきゃならないことに、

振り回されている私たちは、

「はあ???」ってなる。

 

怒っちゃうよね~?

毎日、「忙しい」「暇がない」「疲れる」の連発だもん。

 

でも、その忙しさの果ては、絶望だって!

 

ここで、毎田先生は、簡単に言われる。

 

この、絶望する人と、遊戯三昧の人のちがいは、

ただ、無常の真理を、認識するかしないかだと。

ただそれだけのことだと。

 

無常の真理を明かしてくれる、真理のことばに、

みんなで、耳を傾けさえすれば、

私たちを苦しめる、欲望の矢が抜けて、

平和を実現することができるのかな?

 

聖徳太子だって、十七条の憲法、第二条に書かれている。

「篤く三宝を敬え」と・・・

 

この世には、絶対の真理というものがある。

そのことを知りなさい。ということですね?

 

それを知ることなしに、

「和」を実現しようとしても、無理があると。

 

どんなに、「戦争反対!」なんて言って、わあわあ騒いでも、

どんなに、北朝鮮や、トランプさんや、

汚職まみれの政治家さんたちを、非難しても、

平和はこないよってことかな。

 

 

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