本当のことしか言わない人?本当にそんな人いるの? うん、読めばわかるよ!スッタニパータ
喜びをもって語られる、真実の姿
~スッタニパータ・雪山に住む者の経より~
私が、スッタニパータを通して、
お釈迦様のお話を聞きたいって思うのは、
ど~うしても、知りたいことについて、
うそのない言葉で、
ありのままに語ってくれるから。
そして、決して、押しつけない。
「何を聞いても、それにとらわれちゃいけないよ。」
「参考程度にして、自分の見たり感じたりした、真理に従いなさい。」
と言われる。
そして、それを自分の都合のいいように、とらえようとすると、
「自分の都合に合わせて、真理をねじ曲げることが、真理に従うことではないよ!」と、くぎをさされる。
うそ偽りの世界に生活してると、
なかなか人の言うことを
心から信じることができなくなっちゃう。
「そんな、本当のことしか言わない人なんて、本当にいるの?」
って、疑って、確かめたくなる。
これも、そんなお話かな?
雪山に住む者の経から紹介します。
「サーター山に住む者」が、
「雪山に住む者」を誘って、
お釈迦様に会いに行こうとしている。
「雪山に住む者」は、
お釈迦様という方が、本当に信じられる方なのか、
本当にお会いする価値のある方なのか、
確かめているのかな?
154-2
「その人の心は と雪山に住む者が問うた
すべての生きものと一つに融けて
快いことにも不快なことにも自由に働いているか」
155-3
「その人の心は とサーター山に住む者が答えた
すべての生きものと一つに融けて
快いことにも不快なことにも自由に働いている」
お釈迦様は、すべての生きものの、
「こう生きたい」って願う方向と一つになられる。
普通は、その、「こう生きたい」っていう方向が、
自分の都合と合っていると、
「ふんふん、この人は、よくわかっている。」
なんて、気分がよくなったり・・・
その、「こう生きたい」って願う方向が、
自分の都合と合わないと、
「こいつは、全然わかってないな!」
なんて、不機嫌になったりすることってよくあるけど・・・
お釈迦様は、そういうことがなくて、
どんなときも、変わらない、
慈悲の態度で、接してくださるんだな。
このあとも、同じような形式で、会話はつづく・・・
そこで、「雪山に住む者」によって、尋ねられることは・・・?
156-4
与えられぬものを取られないか
生きものを傷つけないように心を配っておられるか
微妙なものの動きを見逃さず
いつも深くものを考えておられるか
158-6
うそはつかれないか
人を中傷されないか
無駄口は利かれないか
160-8
欲望を起こされることはないか
無知を離れて
物事のまことを見抜いておられるか
162-10
明らかな智慧に透徹しておられるか
全く清らかに生活しておられるか
煩いを絶ち切って
又外のものに生まれかわられることはないか
で、「サーター山に住む者」の答えは、
すべて 「YES!」
いやなことを決して押しつけられることがない。
たとえ、どんな非難されるような行いにも、
必ずわけがあると、
その微妙な動きから、
その奥にある真理を見つめておられる。
うそや無駄口がなく、
わけのわからないことを言ったり、
人をバカにしたりせず、
いつも真実のことばで語られる。
偉そうな態度をとったり、
私利私欲にまみれることもない。
いつも真理だけを見て、
それに従って、迷いもなく、
清らかに生活をしておられる。
こんな人、いる~?!
でも、いるなら、ぜひ会って、
お話を聞きたい!ってなるよな~ \(^o^)/
もう、「雪山に住む者」は、感激!!
だって、信じられないような、
真実の人の姿を、
「サーター山に住む者」が、
喜びをもって語ってくれたから。
このあと、二人は連れ立ってお釈迦様に会いに行くのです。
きっと、喜び勇んで、ワクワクしながら、
ふたりで肩なんか組んじゃっ(たかどうかは、わからないけど・・・)て、
お釈迦様に会いに行ったんだろうな~ (o^―^o)
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