主役だろうがわき役だろうが背景だろうが空間だろうが、どれも同じように貴重な1ピース
人生のこと、世界のことを、パズルのピースとしてイメージしてみると・・・?
パズルのピースをはめていくと今という一枚の絵になるのだけど、そう考えると、そのひとつひとつのピースの重要度というのはどれも平等だ。たったひとつがなくても、絵が完成しない。その点において、どのピースも同じ重要度だということになる。
♫剣の舞♫という曲がある。
先日、この曲を物語仕立てにして、音を背景や配役みたいに考えて、音楽の授業で扱ったところ、子どもたちとのやりとりで、とても楽しい展開になった。
最初に、ティンパニの「ドンデンデンドン」という音を〇4つで表した図と、木琴の「テテテテテテテ・・・テレレテテ テレレテテ・・・」というメロディーを短い線や曲線で表した図を示して、曲を流し、どっちが先に出てくるか聞くと、多くの子が「木琴」を差した。ティンパニのリズムは冒頭からずっとこの曲を支えているのだけど、主旋律の木琴の音があまりに印象的で、子どもたちはそれに気づいていないのだ。木琴が登場する前にすでに「ドンデンデンドン」は4回も繰り返されているというのに・・・。
「もう一回!」というリクエストに応え、2~3回聴かせるうちに、やっと「ドンデンデンドン」に気づいてくれた。
そこからは、なぜかクレヨンしんちゃんに配役を例えて話が進んでいった。
主役・・・しんちゃん(勇ましく暴れている。)
支え役・・・背景(外の景色。例えば道とか壁とか)
わき役・・・シロとか、ねねちゃんとか、ひろしとか、みさえとか・・・
ってことにして、合いの手(ときどき入るトロンボーンの象の鳴き声みたいな音)が入ると、
「あ、シロが顔を出した!」とか、「みさえが叫んだんじゃない?」
そして、中間部に入ると、
「あれ?しんちゃんさっきまであんなに勇ましかったのに、なんかちょっと元気なくなった。」
別のメロディーが重なってくると、「ねねちゃんが出てきて励ましてる。」
そのうちいろいろ出てきてみんなで大騒ぎになって、途中でバチバチ始まって、最後は散り散りに逃げて行っておしまい!
・・・というわけで、思いのほか話が盛り上がった。
それ以来、クラシック音楽を、図やセリフに置き換えて、物語風にするのがマイブームになっている。
え?なんでこんな話になったんだっけ?
・・・そうそう、このパズルの1つのピースが欠けても絵は完成しないのと同じで、音楽も実はいろんなパートがいろんな役を担っていて、よく聴くと、「あ~こんなところで、こんな音が(休符さえも)この音楽を支えてくれていたんだ~」ってことに気づける。それがとても楽しくて味わいがひとしおだ。
と、ここまで書いてまた、しばし、「今」のこの私を取り巻く世界の絵のパズルの1ピース1ピースをじっと見つめていたら・・・?
なんと、なんと、1週間くらい前から探しに探しても見つからなかった、大事なCDが、思いもよらない本棚のすみっこから、ちょこっと顔を出しているのを発見!!
もう、諦めていたのに・・・うれしくてうれしくて、思わず歌いました~!
♫探すのをやめたとき 見つかることもよくある話で
踊りましょう 夢の中へ 言ってみたいと思いませんか♫
♪うふふ うふふ うふふ さあ~~~~~~♪
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