真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

魔法の扉はいつ開く?

 

私は、ときどき自分の中に、魔法の扉があるなって思う。

その扉が開いたとき、特別な世界と通じて、「奇跡」と呼べるようなことが起こる。

たぶん、その扉からなんらかのパワーが流れてきて、私を通じて働いて、奇跡を起こしているんじゃないかと思う。

その特別な世界というのは、イメージとしては、宇宙とか、神様とか、自然とか、真理とか呼ばれているような、すべてを包み込んでいる、すべての人に通じているような、普遍的な世界。

 

問題は、その扉がどういうときに開くかということだ。

 

例えば、とにかく一生懸命がんばってがんばって、開くまで扉を押しつづけて、最後いよいよバーン!!!っと体当たりしたら開くことがある。

 

でも、だからといって・・・

「そうか、諦めないで押し続ければ、必ず魔法の扉は開くんだ!どうしてもだめなら体当たりだ!」って思って、また同じようにやっても開かなかったりする。

  

「え~?どうして?!」って、いろいろやっているうちに、今度は引いたら簡単に開いちゃったりする。

 

「なあんだ、引けばよかったのか?!」となる。

 

そしてまた次、今度はいくら引いてもいくら押しても開かない。

「え~?なんだよなんだよ~!前は開いたのに~」となる。

 

もうそういうときはあきらめて休憩する。そして、そのうちに扉のことは忘れて眠ってしまったりする。

 

ところが、目を覚ましてみると、なんと扉が開いていた!なんてこともある。(『小人の靴屋』みたい)

 

「なあんだ、寝てても開くんかい?!」と思って、「もう頑張るのやめた!寝て待とう!」となる。(ん?こんなお話もどこかにあったような・・・)

 

そして、目が覚めて見ると開いていない。じゃあもうひと眠り・・・と、何度も何度も寝て起きてみるけど、一向に開く様子はない。

 

いやあ~手ごわいなあ~。

いったい魔法の扉はどんなときに開くの?!

 

 

さて、それと関係あるのかないのかさっぱりわからないけど、昨日は壇珠さんの記事

242/1096 想像してみて・・・!|壇珠【タンジュ】(ミユ)|noteと、

昨日壇珠さんがツイッターで紹介してくれていた、

「自分探し」から「自分無くし」へ | meisouartist 大島ケンスケのブログの記事を読んだ。

 

 

まずは『「自分探し」から「自分無くし」へ』を読んで、

 

もしかして、この魔法の扉を開ける方法も、探すのをやめたらいいのかな?と思った。もう、扉を開けようとすることに捉われなくても、そんなこと忘れて、楽しく飛び回ったり休んだりしているうちに、いつのまにか扉がなくなって、もう奇跡がダダ洩れの世界にいたりするのかも?

 

 

そして、壇珠さんのこちらの文章にもグイとつかまれました。

 

わたしはわたしを連れて行く人でありながら、わたしに完全に任せて連れて行かれる人でもある。そのどちらにも偏りすぎないで、どちらでもいたい、その真ん中にバランスしていたい、という思いが湧いてきて、そのときにとてもとても澄んだ、生きていることへの感動が湧いてくる。

  

「よし!ついて来い!」といつも自分をリードしてくれる自分。多少怖いことでも彼(男役?)について行けば大丈夫!と思わせてくれる頼もしい自分。お任せしておけば、いろんなところに連れて行ってくれて、私を楽しませてくれる。

でも、ときどき私の気持ちを無視して無理をさせようとするから、そんなときは、「ちょっと休もうよ。」と言ったり、「それだけは嫌だな。・」と抵抗したりしよう。

 

そうか、この2人(?)の自分が、仲良くなれば魔法の扉は開くのかな?

 

 

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