わたしも世界も宇宙も影響によってできている
昨日は車でちょっと遠出をした。
高速道路を運転しているとき、わたしはいつもガチガチに緊張する。
家に着くとクタクタにくたびれるほどに・・・
というのも、もし私がここでハンドル操作をあやまれば、一瞬にして人生が変わってしまうかもしれないと思ってしまうから。
例えば急に心臓発作が起こったら?
例えば急に前を走るトラックの荷台からシートが舞ってきてフロントガラスに張り付いたら?
例えば急に狸が飛び出して来たら?(いや、あり得るんですよ!)
一時間後は病院のベッドの上だったりして・・・(◎_◎;)
そして、近くを走っていた車を巻き込んで事故ってしまったら?
それがもしも憧れる有名人の車だったら、その人と一生お近づきになれるかも?
いや、その妄想はちょっと置いといて・・・
逆戻りして、家を出るとき「いってきま~す!あ、やっぱりちょっとトイレ・・・」とか言って、一旦戻ったために、事故に巻き込まれずにすむってことだってあるかもしれない。
結局どんなに気をつけたって、どんなに考えたって、自分ですべて決めることなんてできないんだから、もう、運を天に任せるしかない。
でも、わたしたちの一挙手一投足が、思いがけずいろんなところに影響を及ぼしているってちょっと怖い。
つまり、わたしがいることで起こる世界というのは、わたしがいなければ消滅してしまう。
わたしたちの個々の選択は、個々の宇宙のすべてに影響する。わたしたちの持つ影響力というのは全宇宙に波及するものということになる。
わたしたちが何もしていないとしても、ただそこにいるだけで、息をしているだけで、全宇宙に影響があるということだ。
「波及」という文字通り、影響は私たちが起こしている波みたいなものなんだな。
小さな小石を池にポトンと落としたら、そのまわりに次第に波が広がっていくように、人々が起こす波はときに合わさったり、ときにぶつかり合ったりして、更に更にいろんな思いがけないところにまで広がって、知らないところで知らない人にまで影響していたりする。
わたしたちが関わる相手、そのすべての人がわたしたちの影響を受けている。その会話、その時間、その記憶、そのときの発想、その時の思い・・・それらの経験から生み出される次の経験や、思いもすべて変わる。そして、それがその人に関わる人々にも同じように影響する。その人々に関わるすべての人にも、そして、そのすべての関わる人に関わる人も・・・
どこまでも、どこまでも。
「影響」という言葉を調べてみたら・・・?
『一方の作用や働きが、結果として他方に変化や反応を起こさせること。その変化や反応。』とある。
ここで、自分が今までに受けた影響について考えてみた。
そしたら・・・?すべてが影響じゃないの?わたしのすべては影響によってできている!って思った!
そもそも生まれてきたのだって、
「はい!そろそろ生まれますよ~!」なんて自分で決めて、勝手に生まれたわけではない。両親をはじめ様々な作用や働きの結果、起こった反応として生まれてきた。
今あるこの身体や性格や心の状態だって、
「背は高めで、髪は多めで、手は大きめで、性格はおっとりめで・・・」とか自分で選んで決めたわけじゃない。遺伝子や食べたものや育った環境や出会ってきたものによって、受けた様々な影響の結果だ。
・・・ということは、「わたし」という人間は、影響でできているんだな。影響でできた人と人が、更に影響し合って生きているのがこの世界なんだな。そして、その影響は人間だけでなくて、この宇宙のすべてに無限に及んでいる。
すごい!・・・ということは、この世界も宇宙も、すべてが影響によるもの。それぞれが起こす働きによって、常に変化と反応を繰り返しながら、揺ら揺らみんなで揺れている。
なんだか不思議。世界全体が影響の波の中で揺ら揺らと浮かんでいるみたい。心地よく揺れたり大波に呑み込まれたりしながら・・・。
自分がどこで誰にどんな影響を及ぼすのかなんて、とても把握できることではないけれど、できることならばいい波動を起こしたい。
みんなが気持ちよ~く揺ら揺らできる波動にいっしょに乗って、その波を更に遠くにまで届けられるように、揺ら揺らしたい。
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