欠乏感を抱きしめる
とてもいい時間だったな。
なんか優しくて温かいものが心に染み渡って来た。
いい居場所があってよかったな。
欠乏感をかわいがろう・・・・
その幼さを思ってみよう・・・
『幼き心』が悲しみの中にあることほど、胸の痛むことはない。小さな子が愛を求めて悲しむのを、どうして止められようか。怒って終わることだろうか。置き去りにしてスッキリできることだろうか。悲しくないフリをさせて、その横で楽しめるだろうか。いなくなれと願って、わたしたちは幸福になれるだろうか。
自分にそれをしていて、胸が痛まないだろうか・・・
欠乏感くん、今日は君をうんとかわいがってあげるよ。
「欠乏感くん、きみかわいいね。いい子いい子!」
ほら、もう寂しくないよ。
欠乏感を愛そう。それはなによりも愛されるべきものだと思う。
自分が幸せで元気なときよりも、泣いている幼子が現れたときにこそ優しくしよう。幼子の世話のように、たまにはそばにいる誰かに頼って手伝ってもらったりしたっていい。わたしも、周囲の誰かとの関係によって乗り越えた部分がたくさんある。その思いをダメだと思うくらいなら、抱きしめて居場所をつくろう、暖炉に当ててあげよう・・・・・きっと欠乏感くんは元気になっていよいよ暴れるのかも知れない。でも、それもまた自分だもの。
欠乏感くん、愛しているよ。
ずっとここにいていいよ。
温めてあげるよ。
そういえば、いつもどうしたら欠乏感がなくなるかばかり考えていたな。
欠乏感をなんとかやっつけて追い払おうとして、戦ってばかりいたな。
戦えば戦うほど欠乏感は強くなったな。
でも、温かく抱きしめていたら、いつのまにか欠乏感くんは小さくなっておとなしくなって、すやすや眠ってしまっていた。そこにいることを忘れてしまうくらいに。
さあ、今のうちにあれやこれややってしまおう!
今日は歌を作りながら、我々人類の切なさを思って何度も泣いた。
もしすべての人の苦を集めたら、宇宙の大きさになるのだろうか・・
それを人の数だけ大なり小なりにわけて、みんなでこなしているのかもしれないな。そうしたら、大きいのを担当する人は、それだけ強い魂だなあ。
辛い思いをする人に、さらなる敬意を持っていたい、そんなことを思った。
すべての人の苦を集めた宇宙の大きさの苦を、みんなでわけてこなしているなら、私はまだまだいけそう。大丈夫。ちょっと大きいの担当したとしても、それだけ他の人の分が軽くなると思えばなんだか報われる気がする。
そして、もしも苦しみが少なくなったら、その分を担当してくれている人に敬意をはらおう。そうとも知らずに他人事みたいに「あ~あ、かわいそうに」なんて言っている場合じゃないんだな。
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