真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

神様の手づくりはひとつひとつがそれぞれ

「人は一生で脳みその2割しか使わない」って、今朝読んだ坂爪さんの記事に書いてあった。私たち人間は、潜在能力がやばいらしい。もっともっと使って開発しないともったいないってことだな。

 

脳みそが腐らないうちに、潜在能力が深い眠りに落ち込んで、錆びついてしまわないうちに、もっともっと揺さぶらなくては!

 

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この身体を貸していただいているような、信頼のもとに与えていただいたような感覚が思い出されて、ああ、自分は普段いい気になってるな・・と思う。

 

そうか~!

この身体は借り物なんですね?

その発想はいいな~。楽しい(≧◇≦)

 

神様が言った。

「おめでとう!君に地球旅行のチケットが当たったよ!応募者多数の中から選ばれたんだよ。さあ、この乗り物を貸してあげよう!これに乗って、地球旅行を楽しんでおいで!」 

 

その乗り物(身体)はまだまだちっちゃなちっちゃな乗り物だった。

「ふんぎゃあふんぎゃあ!」と変な音をたててバタバタ暴れたりする。

でも大丈夫!そのうちだんだん大きくなって、いろんな機能が働きだして、いろんなところへ連れて行ってくれたり、いろんなものを見せてくれたりするようになるから。

 

この不思議な乗り物は、ひとつひとつは神様の手づくりなのだ。だから、ひとつひとつがそれぞれだ。

「ちょっと太っちょで不格好だな。」とか、「もうちょっと足が長かったらスイスイ行けるのに。」とか、「髪の毛が薄くて寒い。」とか、「鼻がぺちゃんこで息苦しい。」とか、ケチをつけないことだな。自分の乗り物にも他人の乗り物にも。

ときには迷って目的地と全然違うところへ行っちゃったり、急に燃料が切れて、動かなくなったりしても、「ポンコツ」なんていっちゃあいけないんだな。神様の手づくりだからね。そして、まだまだ使いこなせていない機能がたくさん眠っているだろうから、だんだんに開発していかなきゃね。

 

あと、神様は、ひとつひとつの乗り物の中に、こっそり小さなひとつぶの幸せの種を植えた。それは光に出会ったら、芽が出て、ふくらんで、幸せの花を咲かせる。きっとすてきなことが起こるのだ。全部の乗り物の種がちゃんと芽を出して花を咲かせたら・・・?そうしたら、どんなにすばらしい世界になるか、神様はわくわくしながらこのしかけをしたんだな。

 

そんな人間というものの存在を思うと、ただ胸に切なく愛しくこみあげるものがある。人間よ・・すべての幼かった心よ・・それを思い切り感じてみると、それは弾いた弦のように慈愛の響きを放ち、胸いっぱいに鳴り響いて、ハートを振るわせる。

 

幼かったすべての人を今のその人たらしめた、すべての要因よ・・
それを思ったときの響きが、他者への許せなかった気持ち、辛かった出来事への悲しみ、自分を罰していた数々の評価を緩ませ溶かしていくのが感じられる。

 

わたしたちは、誰を、何を憎めばよいのだろう。そうするべきものが、本当にあるのだろうか。どこが間違いなのだろう。どこからが間違いなのだろう。なにがそれをそうさせたのだろう。許しを持つことは、屈することなのだろうか。仕方なかった、ただ起ったことだ、と諦めることはなにかに負けることなのだろうか。
もしそうして誰かが傷を超越することができたら、それを「よかったね」と思ってもいいのではないかな・・・・死ぬまでの間の経験に、快さが増すのはいいね・・・

 

うん、いいね。

色も形も大きさも性能も違う私たち。そのどれもが神様の手づくりの傑作なんだな。だったらどれも、それぞれそこに生きている姿を尊重したい。そして、みんなの種が埋もれてしまわないように、ちゃんと光に出会って花開きますように。 

 

さあ、今日もこの神様にお借りした、世界にひとつの乗り物に乗って、すてきな旅を続けよう!

いつかあふれるばかりの感謝を込めた、たっくさんのお土産といっしょにお返しできるように。

 

 

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