これも愛 あれも愛 たぶん愛 きっと愛
「自己肯定とは、自己肯定をやめること?」
「はあ?」
「どゆこと?」
それをあんな言葉、こんな言葉で、丁寧に説明してくださるのがこちらの記事。
まあ、わかってもわからなくてもいいんだ。
もう、とにかくいい!
なんでもいい!
こうじゃなきゃダメってことがなんにもないんだから・・・
「え~?え~?なになに?ますますわかんない~」って?
そうそう、その調子!それでオッケー!!
では、読んでみよう!
わたしが思うに、自己肯定の一番の肝は、自己肯定しようとするのをやめること、だ。やめちまうんかい!と思われてしまうかもしれないけれど、本当にそうなのだ。
あ~!なにも肯定するものなんてなかった!と気がついたのだった。そう気がつくと、肯定と否定はどちらも解け去ってしまう。肯定と否定はセットになっていて、否定を生めば肯定も生まれ、肯定を生めば否定も生まれる。肯定否定ごっこなんだな、幻なんだなあ~と思って、はにゃ~と力が抜けた。
でもあえて言葉で書こうとしてみると、自己肯定って、「自己肯定できない自分を肯定しちゃいましょう!」ということだと言ってもいいと思うのだ。
そうすると、そこに「やること」なんてなかったとわかる。
「無私」とか「無我」とかいうのはこういうことなのかな?
もう、もって回る「私」とか「我」というものがなくなれば、楽ちん楽ちん!
自由自在。なにしてもどうしてもいいんだから。羽根が生えたようだね。
そんなふうに思えない?
ならば思わなくたっていいのだ~。
自己肯定なんて、できなくていいじゃないか・・・
あれこれダメだと思うままでいい。
変えたり解決したりすることなんて、どこにもない。手放しで、監視をやめていい。批評をやめていい。
なぬ?!監視をやめられない、批評をやめられない?いいのそれで。ええのんよ。(こういうときの関西弁ってなんか優しいな・・・
変えてもいいし、変えなくてもいい。
解決しなきゃいけない問題なんてなにもない。
いやいや問題だらけ!問題の山積み!って言うなら解決がんばって!
監視したけりゃ思う存分したらいいの。批評したけりゃ思う存分おやりなさいね。
え~やだやだって思うならやめたらいいし。
もうどうでも、好きなよ~うにどうぞ!
「え~?いいの?それで?」
「ええのんよ~」ムフフ・・・
ちゃんと生きていないとか、人とうまくやりとりできないとか、なにかが怖いとか、いろんな思いで苦しんでいたら、そんな自分も眺めてみよう。
わたしは、そういう自分を見ると、なにかをうまくやれる自分よりも可愛いと思ってしまう。だめな子ほど可愛い、みたいな感じで。。。生きにくさを抱えたままで生きている自分に、慈悲や慈愛を感じてしまう。
きっと人は、完璧じゃないから愛しいんだね。完璧になったら自己肯定できる、と考えていると、それは一生不可能である。
「あ~バカだな~」とか、
「考えすぎなんだよ~!」とか、
「全然わかってないじゃ~ん?」とか、
「あ~わたしって一生このままかも・・・情けない・・・」とか、
「うっ・・・うっ・・・もう、どうしたらいいのかわからない・・・」とか・・・
とにかく、ただただそんな自分を楽しみなさいな。ってことですね?
いやいや楽しめません?
じゃ、楽しまなくともええのんよ~!
好きにしなね~!
投げやりではないの、これも愛なんだな。きっと・・・
なぜかこんな歌が出てきちゃった!(;'∀')
♪ これも愛 あれも愛 たぶん愛 きっと愛 ♪
では、きょうも歌って終わります~(^^♪
♪ こ~れ~も~愛 あれも愛 たぶん愛 きっと愛 ♪
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