真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

比べることは束縛。命を評価することなんてできない!

 命はただ命であるだけ

 

「あの人は常識がないな~」とか、

「どうしてそんなあたりまえのことができないの?」

とか言ってるときって、

気づかずして、

自分は思い上がっていい気になっちゃってる。

 

人によって、

常識と思っていることも、

あたりまえと思っていることも、

微妙にちがっているのに。

 

人の考えっていうのは、

どんなに勉強したって、

限られた一面的なものでしかないんだな。

 

最上のものの八つの経からです。

799-4

智慧についても徳行についても 

世の人と自分を比べて

一面的な考えをもってはならない

即ち自己を「等しい」ものだといってみたり

また「劣った」ものとか

「勝れた」ものとか考えたりしてはならない

 

それぞれが違うものさしを持って、

誰かの、外から見えてるだけの、

どこか適当なところに当てて、

「う~ん、これはいいね~」とか、

「ん?これはちょっと足りないぞ!」とか、

「これは普通だね。」とかいうことが、

くだらないことだよってことですね?

 

持っているものさしもまちまちだし、

当てている場所も、

はかり方もまちまち。

 

比べようもないことを比べて、

最もらしく、

「等しい」とか、

「劣った」とか、

「勝れた」とか言っているのは、

こっけいなことなんだな。

 

そんなのは、

一面的で、部分的なことで、

その人の個人的な生命を見ているんじゃない。

 

個人的な生命を

「等・劣・勝」と評価することなんて

誰にもできっこないと。

 

でも、気がつくと、

すぐに誰かと比べて、

自分が上だと思い上がってみたり、

「あ~負けてる」って卑下したみたり、

「同じ程度だ~」って安心してみたりしている。

 

聖徳太子が、

「我れ必ずしも聖に非ず、

 彼必ずしも愚かに非ず、

 共に是れ凡夫耳」

と言われるように、

「私が正しい」とか、

「彼は愚かだ」とか、

そんなことは言いようもない。

 

みんなそれぞれが、

それぞれの尊いだっていうこと。

 

比べることは、束縛なんだな。

 

比べることをやめることができれば、

もっとありのままの自分で、

自由に天真爛漫に、

のびのびと生きることができるんだな。

 

 

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