比べることは束縛。命を評価することなんてできない!
命はただ命であるだけ
「あの人は常識がないな~」とか、
「どうしてそんなあたりまえのことができないの?」
とか言ってるときって、
気づかずして、
自分は思い上がっていい気になっちゃってる。
人によって、
常識と思っていることも、
あたりまえと思っていることも、
微妙にちがっているのに。
人の考えっていうのは、
どんなに勉強したって、
限られた一面的なものでしかないんだな。
最上のものの八つの経からです。
799-4
智慧についても徳行についても
世の人と自分を比べて
一面的な考えをもってはならない
即ち自己を「等しい」ものだといってみたり
また「劣った」ものとか
「勝れた」ものとか考えたりしてはならない
それぞれが違うものさしを持って、
誰かの、外から見えてるだけの、
どこか適当なところに当てて、
「う~ん、これはいいね~」とか、
「ん?これはちょっと足りないぞ!」とか、
「これは普通だね。」とかいうことが、
くだらないことだよってことですね?
持っているものさしもまちまちだし、
当てている場所も、
はかり方もまちまち。
比べようもないことを比べて、
最もらしく、
「等しい」とか、
「劣った」とか、
「勝れた」とか言っているのは、
こっけいなことなんだな。
そんなのは、
一面的で、部分的なことで、
その人の個人的な生命を見ているんじゃない。
個人的な生命を
「等・劣・勝」と評価することなんて
誰にもできっこないと。
でも、気がつくと、
すぐに誰かと比べて、
自分が上だと思い上がってみたり、
「あ~負けてる」って卑下したみたり、
「同じ程度だ~」って安心してみたりしている。
聖徳太子が、
「我れ必ずしも聖に非ず、
彼必ずしも愚かに非ず、
共に是れ凡夫耳」
と言われるように、
「私が正しい」とか、
「彼は愚かだ」とか、
そんなことは言いようもない。
みんなそれぞれが、
それぞれの尊い命だっていうこと。
比べることは、束縛なんだな。
比べることをやめることができれば、
もっとありのままの自分で、
自由に天真爛漫に、
のびのびと生きることができるんだな。
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