ストップ!ザ・打算! ワクワクへ「GO!!!」
今、勤め先の小学校では運動会に向けて猛練習中!
6年生の音楽の授業の前に、担任の先生に子どもたちの様子を聞くと、
「疲れてグダ~ッとしてます。集中力もやる気もなしです。」とのこと。
場合によっては、ここで一気にこちらのテンションも下がってしまったかもしれない。・・・のだけど・・・
「え~?!まっいいか!グダ~ッとした6年生を前に一人で盛り上がっちゃおう!」
と、そのちぐはぐな感じを想像したらなんだか楽しくなった。
授業が始まりダラダラと遅れ気味に音楽室に集まってくる子どもたち。すかさず運動会がんばれソング「栄光の架橋」と「あとひとつ」を流し、歌い始める。
しかし、音楽の力はやっぱりすごい!まず私の気分が自然と盛り上がってくる。そのうち子どもたちもだんだんつられて歌声がひとつになってくる。そして、最後の
♪ 何度でもこの両手を~あの空へ~ ♪ でふと見ると、
両手をいっぱいに広げて大きく振りながらノリノリで歌う姿が・・・
しかもその中には、最初の授業で書いてもらったアンケートの、「授業について不安なこと」の欄に、「先生のテンションについていけるか心配」とか書いてきた子の姿も・・・
いいじゃん!いいじゃん!
長年あれこれ試行錯誤して、ああでもなければこうでもないと、あっちにうろちょろこっちにうろちょろ・・・
「何が正しいの?」「これってなんのためになるの?」「いや、楽しけりゃいいってもんでもないでしょ?」とかさんざん迷ってきたけれど、一周回って、最近はやっぱり「心が楽しいと思う方向へ」という最も単純なところに落ち着きつつある。
これも、壇珠さんの記事を毎日読んでいる効果なのかな?
でも、この自分のやりたいという感覚以外に理由のないことをするときの、純粋な状態がとても好き。ちょうど、子供の頃に遊んでいた時の感覚と同じで、ただ後先考えずに夢中になる感じ、本当にプライスレス・・・!
あ~そうだな~!子どもの頃っていろんなことに夢中になったな~!後先考えずバカみたいに・・・
テレビアニメの「アタックナンバー1」にあこがれて、ふうせんでバレーの練習。ずっと上を向いて夢中になってやっていたら気持ち悪くて吐き気が・・・とか、
指パッチンがちっとも鳴らなくて、練習しすぎて中指の皮がむけて、夜ヒリヒリして眠れないほどになっちゃったりとか、
鉄棒も豆ができて、つぶれて、硬くなって・・・を何度も繰り返すほどやったな~
畑に落とし穴をつくろうとして、シャベルで掘り始めたけど、なかなか人が落ちるほどの穴にならなくて、何時間も掘って、それでも寝そべるくらいの穴にしかならなくて「これじゃあ落とし穴にならない~!」って嘆いたり・・・
さらば宇宙戦艦ヤマトのエンディング「ヤマトより愛をこめて」のピアノのイントロが弾きたくて、カセットテープを何回も何回も巻き戻して耳コピしたり・・・
ピンクレディーの振り付けを覚えるのに、テレビにかじりついて必死で覚えては、畳の上でドタバタ踊ったり・・・
あ~思い出しただけで楽しくなっちゃう!
いや、ちょっと時間がなあ~とか、いや、意味ないのに無駄な気が・・・とか、なんの得があるのだろう・・・と思ってしまうとすると、わたしたちはそのとき子供の純粋さを失っていて、打算的なのだ。
そうなんですよ~。この打算が始まると、せっかくひらめいたワクワクが、どんどん遠のいていく。そして、これは放っておくと、ことごとく不安を連れてくる。なので、早くストップしないと!
「はい!始まった~その悪い癖!」「ストップ!ザ・打算!」これ大事!
自分にとって楽しくない打算や不安を持ち込まないで、この世を遊びたいように遊ぶとき、それは宇宙を信頼しているという態度だ。
宇宙はそれを跳ね返してくる。わたしたちが、不安のない現実を手に入れようというとき、先にすべきなのは不安を捨てること。
なぬ?遊びたくとも、その不安を捨てるのが難しい?
フッ・・・大丈夫だ・・・遊ぶことは、同時に不安を捨てることにもなる。不安を捨ててから遊ぶのではなくて、「先に遊ぶと不安がなくなるという順序」なのが面白いところ。
なあるほど!遊んじゃえば不安は消えるんだな。
打算的な大人は、考え出すといくらでも不安が思いついてしまう。もう、「あ、これやりたい!」ってひらめいたら、あ~でもない、こうでもないって考える前に、ワクワクへ向かって「GO!!!」
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