真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

とんちんかんな会話

 

私は、ときどき相談を受けることがある。

聞かれたことに対して正直に思ったこと、考えたことを言うと、突然怒られることがある。

そして、「もう、あなたには相談しない!」みたいなことになる。「お力になれずにごめんなさい。ではご自由にどうぞ。」みたいな感じになる。

そういう人に私は自分の意見を言うと怒らせてしまうとわかっているので、なるべく話さないようにしているのだけど、つい話してしまうと、やっぱり・・・と嫌な予感は的中する。

どうして私はこの人たちをそんなに怒らせてしまうのだろう?

  

例えば、

私の意見を聞いて、相手は「ちっとも気持ちがわかってない。」「そういうことを聞いているんじゃない。」「自分が否定された。」「シャットアウトされた。」と言う。

私はまったくそんなつもりはなくて、聞かれたことに対して正直な自分の見解を述べているだけだし、なんなら私で力になれることなら・・・という気持ちももってはいるんだけど、そういう事態になってしまう。

そのあとも相手は怒りが収まらず、ずっとぶつぶつおっしゃっている。

この人は、ただ自分が言ってほしい答えが想定されていて、それ以外の答えが返ってくると、受け入れられないのかな?とも思ったりする。

でも、あなたのご機嫌をとるために、あなたが喜びそうなことを、本音とは関係なく言うというのは、私には無理そうです。あしからず。と思って、「ならこれ以上私は意見を言うのは控えます。」と言う。

するとしばらくして今度は、手のひらを返したように「がまんさせて申し訳ない。」と謝ってくるので、やめとけばいいものを、「私は我慢をしているつもりはないんですけど・・・」とまた正直に言ってしまう。本当にそう思っているし。我慢と言ったって、自分で選んでしている範囲だし。だから謝られても・・・と思ってしまう。

私は我慢して嫌なことを嫌々やるのも、ご機嫌をとられるのも苦手だから、そんな風に謝る必要もないし、ご機嫌をとる必要もない。と言うと、また怒らせてしまったみたいで、「そんな自分は好きなことだけして、自由に生きてますみたいには、みんなできるわけじゃない。みんな人に気を使って、我慢もしながら生きているんだ。嫌なことだってやらなきゃならないことは山ほどある。それを嫌だからやらないなんて言っていたら、まわりとうまくやっていけない。」みたいに言われるので、「私はまわりとうまくやっていけない感はないし、そんなふうに思って(嫌なことでも我慢してやらなきゃと)やっていたら、ちっとも楽しくない。」みたいなことを言ったら、「人が一生懸命やっているのに、そんな生き方はつまらないと否定している。」とますます怒らせてしまいました。

 

きっと、私はとんちんかんなことを言ったりやったりしているんだろうな。またやっちゃったな。って思ったりする。

でも、どうしてそんなにムキになって怒るのかな?私はただ正直に思ったことを言っただけなのに。と思う。

 

そして、最後に、「嫌だけどあなたのためにしかたなく我慢してやってます。とか、怒らせないようにご機嫌とるとか、そういうのはその人に対して失礼なことだと思う。」と言ってその場を離れた。そして、気がついたら・・・

 

鼻から金色の光を、フンッフンッて噴射していた。そして、なんだか爽快な気分になった。よかった。鼻から金色の光を噴射する練習をしておいて・・・( *´艸`)

 

・・・で、なんかあとから思い返したら、「とんちんかんな会話だったな。」ってやたらとおかしくなってしまって、一人になったら声を立てて笑っていた。

 

・・・そしたら、壇珠(ミユ)さんのキラキラワクワクするような記事が舞い込んできた。

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