真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

見た通り。言った通り。聞いた通り。そのまんま。

「気が利かないねえ~」

「でしょう?!」

「いや、褒めてないから」

 

「相変わらずトロ臭いね。」

「でしょ?!でしょ?!」

「いや、褒めてないって!」

 

昔、親しい友だちとよくこんな会話したな~( *´艸`)

 

まあ、これは冗談半分で会話を楽しんでいたのだけど・・・

たまにこれを地で行く人いるんだよな~。

嫌味を言われているのに、褒められてるって勘違いする人。

 

「凄いね!算数のテスト0点とっても笑ってられるなんて・・・」

「いやあ~それほどでも~」とか言って照れてる、クレヨンしんちゃんみたいな人。

 

まあそれはいいとして・・・

 

逆に褒められてるのに、嫌味だと勘違いする人もいる。

 

「節約上手だね~」

「どうせ貧乏ですよ!」とか、

「大人っぽいね~」

「老けてるっていいたいんでしょ?!」とか、

そういう人には褒め言葉にもつい気をつかっちゃう。ちょっとめんどくさい。

 

ありのままを受け入れていれば、他人からどう言われようと、それはただの事実の指摘でしかないのだけど、そこにコンプレックスがあると、全部嫌味に聞こえてしまったりする。

 

それから、本気で褒めてるのに、お世辞としかとってくれない人とか、

または、明らかに見え透いた謙遜をする人とかもいる。

 

あと、誰かをただ褒めただけなのに、となりで勝手に拗ねる人。

「きれいな二重まぶたですね~」

(隣で)「どうせ私は一重ですよ。」みたいに・・・

 

日本人ていろいろめんどくさい。

会話の中で、言う方も受け取る方も、ひとひねりもふたひねりもする。

自分も日本人だけど・・・

 

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イタリアに来てよかったと思うことのひとつは、「自分の魅力と欠点とを、関連付けて考える癖」が当たり前になっていたと気がついたこと。わたしはその点で典型的な日本人だった。

 

今は、自分のことを魅力的だと思うことができる。それを素直に認めるのにかすかな努力も要しないようになった。痩せすぎ、汚肌、髪が傷んでゴワゴワ、などなど魅力ではないと思える点ももちろんいっぱいある。けれど、実は欠点と魅力とは相対関係にはないと気がついたのだ。
つまり、欠点というのは魅力を落とすものではなく、魅力と対極のことですらないということ。むしろ魅力の一部ですらある。

 

そうですよね?!欠点も魅力もない。そんなのいいんだ。

 

昔、背が高いことがコンプレックスだった頃は、それは私にとっては欠点で、他人から「いいね~背が高くて・・・」と羨ましがられても全然嬉しくなかった。

でも今は、もういい年のせいか、そんなこと全く意識もしなくなった。まあときどき街を歩いていて建物のガラスに背の高い自分の姿が映ると、「お~デカッ!相変わらずデカッ!」ってニヤニヤしちゃたりする。

 

欠点だとか魅力だとか言っても、自分の持つ特徴のどこかを切り取って、これは魅力、これは欠点、とわたしたちが勝手にレッテルを貼っているというだけのことで、それは思い込みに過ぎないのだ。そして、魅力のない人などどこにもいない。

 

そうだ!それはただの特徴!

背が高かろうが、低かろうが、ぽっちゃりだろうが、ガリガリだろうが、眉毛が薄かろうが、鼻がつぶれていようが、目が細かろうが、しわがあろうが、たるんでいようが、頭が禿げていようが、お腹が出ていようが、足が長かろうが短かろうが、ガニ股だろうが内股だろうが、出べそであろうが、お尻が出ていようが、おっとりしていようが、ガツガツしていようが、忘れっぽいとかしつこいとか、どれもこれも全部ただの特徴。いいも悪いもない。〇も✕もない。そのあれこれの組み合わせがその人。場合によって、あんな面もこんな面も出てくるのが人間なんだな。

 

あの人は優しくて気が利いて働き者だけど、涙もろいのだけが欠点。いくらがんばっても治らない。とか言っても、涙もろいのをそんな無理して克服しなくてもいいってことだ。

 

あの子は勉強も運動もできて、お笑いのセンスもあるけど、だらしないのが困ったもんだ。あれさえなんとかなれば完璧なのに。なんて思わなくても、そこがお愛嬌ということだ。

 

人の魅力とは、欠点になど汚されることなく、人それぞれの存在の中心に純粋に君臨するものだ。わたしたち日本人も、このことにもうちょっとオープンでいられたら、もっと気楽に自然に、それぞれの魅力が発揮できることでございましょう・・・

 

あ~いいですね!「存在の中心に純粋に君臨するもの」って・・・。

それをどうこうしようとなんかしなくても、そのまんま認め合っていれば、特別取り上げて褒めることも、けなすことも、謙遜することも、嘆くこともない。

 

そもそもこれは魅力〇、これは欠点✕って分けずにそのまんまをそのまんま受け入れていれば、誰がどう言おうと、ただの事実の指摘。

それ以上なんの詮索もする必要もないっていいな。

 

なんでもオープンに、見た通り。言った通り。聞いた通り。

そこになんのひねりもない。

ただただまっすぐ!

 

正直でいること、そのまんまでいいってこと。

それって自然で気楽なこと。

それってなんて爽快なことだろう?!

 

そうなったら、もっともっと日本人も、みんな魅力的にキラキラするだろうな。

 

 

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