思い込みや前提を外して新しい目で見てみよう!
こちらの記事は、すべての思い込みや前提を外して、新しい目で見るということについて考えさせてくれる。
わたしはこうしてときどき視界の洗濯をする。それは記憶の洗濯でもあり、命の洗濯でもある。目から情報が入ってくるときに、それを使い慣れたフィルターを通さずに受け取ることは、ただ面白いだけでなく、自分が生きている環境を当たり前でなどないことを痛感させてくれる。
それを感じたとき、当たり前だと思って過ごしてきたこれまでの記憶が塗り替わる。「まあ平凡だよね」が「天国にいた・・」に更新されるほどに。
そしてそれはそのまま、生きる自分の命に対しての慈しみを爆上げしてくれることでもある。自宅で不審者になったつもりになるなんて、何の役にも立たない下らない妄想のようで、こんなにも絶大な効果があり、しかもタダである。
自分の日常を、視界に張り付いた古いレンズを全部外して見てみることは、自分の発見であり宇宙の発見であり幸福の発見だと思う。いやマジで・・!
①「もう見慣れて特になんとも思わなくなってるもの、何かな~~?」という好奇の目で自分の環境を見るということがそもそもフレッシュな観点だし、
②そこから「これについてかなり無感動になってるわ~」という、普段意識を向けていないものに対して新たに出会い直すこともフレッシュだし、
③マンネリ化したそれに対する見方を捨てるために「何を自分から削ぎ落とせばいいのだろう」という観察眼を持って自分を見ることもフレッシュだ。
④そこから、いかなる前提もが落ちたときに、その目から本当の現実を見られたらすごいことだ。
⑤自分の周囲からものすごく広範囲の事象に対してこんなふうに見られるようになったら、その人はもはや真の賢者と言えるのではないだろうか。
情報商材風に言うと『賢者化のためのリフレッシュ5ステップ(無料)』である・・!
今日はいろいろトラブルでインターネットが繋がらない。繋がるのが当たり前だったから不便だ。せっかく時間ができて、ブログの続きを書こうと思ったのに。・・・でも書いちゃうもんね〜!W i-Fi切って、スマホを使って・・・
こういうこと、山ほどあるよな〜!当たり前にあると思っているもの。
光がある。暖がある。空が見える。
目があって耳があって、ステキな景色を見たりステキな音楽を聴いたりできる。
食べるものがある。着るものがある。
電気だってなかったら大変だ。夜は真っ暗。炊飯器も電子レンジも電気ポットも使えない。IHで料理もできないからカセットコンロを使うしかない。冷蔵庫の中身は何日かでみんな解けて腐る。こたつもファンヒーターもエアコンも動かない。テレビもラジオもつかなくて世の中で何が起こっているかもわからなくなる。パソコンもスマホも使えなかったら今繋がっていられる人たちからも孤立してしまう。
あと、水道をひねると当たり前に出てくる水だって、もし出てこなかったら?
これが例えばもし真っ赤なドロドロした液体が出てきちゃったら?
顔を洗ったらゾンビになっちゃう!お風呂に入ったら全身ゾンビだ!洗濯したら白いシャツも真っ赤に染まる。白米も炊いたら真っ赤になっちゃうし、排水された水が川に流れたら、血の川になって、蒸発して雲になったら真っ赤な雲になって、血の雨を降らせる。怖い怖い。
水道をひねると透明でサラサラした水が出るなんて、ほんとにありがたい。
家があるのも当たり前だけどありがたい。買い物に出かけて、両手いっぱい荷物を抱えて、疲れてかえってきたら、家が消えてなくなってたらどうする?ひええー!
でも、電気も水道も立派な家もない時代から、人間はちゃんと生きてきたんだもんね。その時代に生きてきた人が不幸だったかというと、そうとも限らないんだものね?
どんな環境にもそれなりに慣れて順応して、その中で楽しみを見つけて生きていけちゃうのが人間なんだな。
あ〜なんか久しぶりにゆっくりしたらいろんなこと考えちゃったな。そして想像力は無限だ!いつでもどこでも楽しませてくれる。(((o(*゚▽゚*)o)))
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