真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

長年の苦しみから一瞬にして解放される魔法の言葉

なんとなんと、人々がこれによってどんなにか苦しめられ、これによって、人生棒に振ってしまい、「私の人生なんだったの~?!」と嘆きながら死んでいく人さえいるというのに、その「執着」について、こんなにも的確で軽やかな表現をしてくださるなんて・・・

恐るべし”大丈夫教”

 

大丈夫、というのは執着の対義語のようなものだと思う。毎日更新を途切れさすまいと激しく執着している自分がいるが、それは途切れた時のことを受け入れたくないからだ。途切れてしまったらと考えると、いやいやいやいやこれまでせっかくやってきたんだから三年続けたあとを見ようや!と拒絶感が湧いてくる。でも、それでも大丈夫だと知っていれば、これは単なる楽しみになる。途切れても死にゃあしないんだし、好きにこだわればいいさ、という気楽さが湧いてくる。

そうだ、今日は執着について思うことを書いてみよう!

 

とにかく続きを読んでみよう!

 

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これは長年人々を苦しめてきた、根の深~い嫌~な醜い執着も、一瞬にして消し去ってしまうような、魔法のお言葉。

 

自分を楽しませたり、自分をより美しくするためにあるはずのアクセサリーを次々に首に巻き付けて、それによって首をしめられて、その重さでがんじがらめになって、苦しんでいる人がいる。ちょっとはずして楽にさせてあげようなんて手を伸ばしたりしたら、「これは誰にも渡さない!さわらないで!」と恐い顔でにらまれたりする。恐ろしいわ~\(◎o◎)/!

 

大丈夫教が広まったら、「あれ?私今までなにに苦しんできたんだ?何に悩んできたんだ?」ポカン???ってなって、きっとみんな自由に羽根が生えて、空を飛び交うすてきな世界になるね~!( *´艸`)

 

 

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