真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

幸せになる努力をして現世での命をまっとうする

今日は頭の中が大騒ぎになっている。

 

きのうから二日間久しぶりに高速バスに乗ってお出かけをした。

とても楽しい二日間だった。

で、行き帰りのバスの中で、壇珠さんの記事を読んだり、それに関連するあれこれを観たり聴いたり読んだりして、次々といろんな思いが溢れて、なにがなんだかわからなくなったけど、とても満たされて帰って来た。

そして、今やっとパソコンに向かった。

 

残したい景色を写真におさめるように、人の想いもそのとき書き留めておかないと、どんどん流れていって、どんどん過ぎ去っていってしまうなあ~。

それに、書いているうちに、前回の記事ですら、何を書いたか思い出せなかったりする。それは私の頭のせい?忘れるのも早くなったってこと?

 

まあとりあえず、今もう一度記事を読んで、出てくる思いを書いてみよう!

 

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宜保さんを見て人間というものについて本当に深く考えさせられた。感想をここにはとても書ききれないのだけれど、ある番組の最後に宜保さんがおっしゃった、幸せになるための努力をして現世での命をまっとうしてほしい、わたしたちが本当に幸せになれるのは現世なのだから・・という言葉が胸に響いた。誠実で穏やかな強さを持った優しい宜保さんの生前のご様子に触れて、心が洗われて、深い尊敬の気持ちで満たされた。

 

この番組を観たかったけど、ちょっとわからなくて、とりあえず出てきた冝保さんの動画を観た。 

とても怖がりで、霊の話とか超苦手なんだけど、この記事を読んでちょっと興味をもって心霊写真のお話を観てみた。

 

「そうか~!」と胸に落ちたのは、霊は一生懸命私たちにメッセージを送っているということ。

 

霊は私たちを守りたくて、私たちを応援したくて、私たちに幸せになってほしくて、あらゆる手を使って一生懸命にメッセージを送ってくれているんだな。と思ったら、心霊写真を見ても、怖いどころか、なんだか「そんなにまでして?!」という切ないほどの愛しさを感じてしまった。

そして、この花も、あの木も、見上げればいつも遠くに見える雲も月も星も、もうすべてに霊が宿っていて、いつもいつも必死でメッセージを送ってくれているのかな?とか思い始めた。自分がもう生きられない分も、残された人たちに生きてほしいっていう強い想いがいろんな現象になって現れるんだな。そんなことに思いを巡らせていたら、頭の中にまたユーミンの歌が流れてきた。

 

やさしさに包まれたならきっと 目に映るすべてのことがメッセージ♪

 

もう、すでにこの世界はやさしさに包まれているって思ったら、本当に冝保さんが言われるように、幸せになる努力をして、現世での命をまっとうすることこそ、私たち生きている人間の義務だなって思った。

 

そして、恨みや妬みを抱えている霊についても、ちゃんと供養してあげればいいというお話があった。それも、何もお金をかけて大層なことをしなくても、子どもの霊ならチョコレートを供えてもいいし、お線香1本炊くだけでも、ただ手を合わせて拝むだけでもいいんだと・・・。

これにもとっても納得した。

「そうか~そうだよね?だって霊だものね?荒れた魂を鎮められるのはやっぱり魂なんだな。」って・・・。

形じゃないんだな。「さぞかし辛かっただろうな。さぞかし無念だったろうな。」っていう想念が霊を鎮めるんだな。

 

今日は、人間の想念、感情、執念というものを思ったら、胸が切なさで一杯になって、たまらず涙してしまった。
子供の頃に、これまでの歴史上のすべての人とすべての動物が味わった苦しみをぜんぶ一点に集めて自分がそれをくらうことで消せたらいいのにといつも願っていたことを思い出した。それを全部自分がもらったら一瞬で死んでしまうだろうと思い、その勇気があるかといつも自分に詰問しては覚悟を決めようとするという変なことを繰り返していた。そして毎度のように、叶わぬ願いだと思うと悲しくなり、それと同時に、自分も人間の一員だから自分の苦しみもそこに含まれてしまうし・・と思うとちょっと不思議な気持ちになっていたのだった。

 

なんだかわたし、前ほど霊が怖くなくなったかも・・・?

 

そして、だいぶ頭の中も落ち着いてきたかも・・・?

 

 

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