真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

日々新しい!

昨日の私→今日の私・・・なんとなんと、日々新しいことか?!

 

きょうの壇珠さんの記事を読んでいるときの私の姿をお見せしたい!

もう、どんどん目が輝いてきちゃって、後半はいちいち

(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪頷いて、(もうムチ打ちになるかと思うくらい)

 

そのうち部屋をぐるぐるまわりだして、一人で

「もう、なにこれ?!なあに、こ~れ~~~?!」って叫んでいた。

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(この喜びを表現したくて、変な絵まで描いちゃった!( *´艸`))

そして、読み終わって、スタンディングオベーションです!!👏パチパチ・・・

もう、お見事!!!

 

それがこちらの記事↓ 

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わたしにとって嬉しい瞬間はもちろん嬉しい。今この時の嬉しいモーメントを作るのに、材料として、今日の嫌な気分を100gくらい入れなくては作れないのだとしたら、今日のできごとは必要不可欠である。あのジェラテリアにいるときは嫌だったけれども、その時間は「今の自分」にとってはこれまでにあった嬉しかったこととすでに同じ重要度である。

そう思えば、嬉しかった瞬間が悲しかった瞬間に支えられている、ということが理解されて、どちらだけがあればよかったのに、と言えなくなってしまう。どちらも、自由なところにただ起こった、自由な創造。そこに、わたしが勝手に意味を見出しているだけだ。すべての出来事は、地平線のように平らに、完全に同じ重要度の中にある。

 

それらのフラットな出来事たちを、どう意味づけるのか。それは今の自分に100%かかっているということだ。

 

親とのことだって、家族とのことだって、「今」嫌なことは嫌だと思えばいいけれど、もう過去になったことについて「ああでなければよかったのに」と思わなくていいのだと思う。それがなかったら、今の自分がいなかったのだから・・・・もし、「え、今の自分じゃなくてもいいし、その出来事がなかった世界の自分になりたかったし」と思ったのなら、それは、今の自分に自分が満足していない、たったそれだけのことだもの・・・!(自分が、今のお前じゃなくていいし、と最愛の自分に思われるのは辛いことだ・・!)

 

もしも「いや~今の自分が本当に大切だし、本当に今が幸せだなあ!」と思っているとしたら、過去の嫌な出来事についても「変えられちゃあ困るんだな、ひとつでも変わってしまったら今の自分がいなくなってまうやんけ!とんでもないことだ!わしを消す気か!」と思うだろうからだ。

 

だから、過去を愛したかったら、今の自分を愛そう・・・・
過去を後悔したくなかったら、今を後悔なく過ごそう。。
そうやって、ただある、というところになったとき、過去が自分の中で、いじくる対象ではなくなるのだと思う。

 

誰かに言われた嫌なひと言とか、本当にショックを受けた親の仕打ちだとか、そういうことも、どんなことも、もうむしろそれを恨んだままでいいから、そんな自分に「ちょっと待っててね、恨んだままでまったく構わないから、そこにいてくれ!わたしは今をとにかく大事にしてっから!」と言って安心させ、今の自分にのみ取り組もう。そうすると、恨んでいる自分がいたこと自体が、いつしか過去になる。

 

それに、わたしたちはどちらにしろ「今」にしかいられないから、それしかできることもないのだ。

 

わたしは今日、山に行ってあのジェラテリアに入って、ジャマイカ風曲爆音と家族の爆声トークにストレスを受けたことを後悔していない。毎日投稿のネタになってくれたのだし、今この時の自分が楽しく嬉しくこれを書いているからだ。今日のことは、今のわたしのそれへの印象以外に、今ここにはもうないことだ。そう考えたら、後悔というのは、過去をしつこく追い回すストーカーみたいなものだなぁ!

 

こうして、長年私を苦しめてきた、過去をしつこく追い回すストーカーは、とうとう逮捕されたのでした・・・今の私を守るために・・・

 

・・・ㇺフフフフ・・・あっぱれじゃ!!! 

 

 

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