真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

わからないけど尊重する。でも捉われたくはない。

今日のテーマは深い。そして、今の私にとってなにより重い。

はたして何が書けるかな・・・?

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本当にがんじがらめだった。
それはもう、呪いと言えるほどに。それらはあとになって、自伝に書くことができて、書いたことで今の自分がある。親のくれた、自分をがんじがらめにしていた呪いのようなすべての枠は、まさにギフトだった。

 

これまでの自分が必死に歩んできた道は、両親のもとに生まれた呪いを浄化してきたとも言えるし、活かしきってギフトにしたとも言える気がしている。あとになって、すべてが自分の身となり、助けとなってくれている。

 

親のくれた好みや葛藤や無念などの影響は、呪いだと思えば呪いであり、ギフトだと思えばギフトだ。ただ本当にこの歳になってやっと思うのは、これも親のせい、あれも親のせい、と言っているよりは、動くこと、とにかく行動すること、気の済むまで自分の衝動や気がかりに尽くしきってしまうことが、最高の浄化のひとつだということ。

 

自分に果たされていない思いがないように。。。親から来たものだろうと、どこから来たものだろうと、そんな出処なんてどうでもいいから、わたしたちが、気になるならやろう。なんかそわそわするならやろう。
理屈ではどうだろうと、自分の思いを置き去りにだけはしないで、見て見ぬふりをしないで、日常で押しつぶして見殺しにしないで、自暴自棄にならないで。したいことがあって迷っている方には、自分はそうお誘いしたいなと心から思う。呪いのまま終わらせないようにするには、自分のしたいようにし切ってしまうことだ。そうしてギフトとして受け取ろう。

 

両親のことを書こうと思うと、もう何から書いていいのかわからなくなる。

でも、今日はあまりにタイミングよい出来事があったので、母のことを書いてみよう。

 

だいぶ前に母から手渡された「八十余年の人生を振りかえって」という手記を、今朝やっと開いた。

ずっと読むのに気が進まなかった。

母の話を聞くたび、

「あなたはちっともわかっていない。私がどれだけ苦労してきたか。」と責められている気分になる。これ以上捉われるのが嫌で逃げ出したくなってしまう。

でも、ずっと手元に置いてあったその手記になぜか今朝は手が伸びた。

手記の内容は、何度も聞かされた話が多かったけど、こうして文章で読むとまた新しい感覚で入ってくる。

 

母には弟が二人、妹が一人いて、一番下の弟に先立たれた時、「自分の子どもを失ったように切ない。」と言っていた。

終戦の年に生まれたその弟を、小学校三年生の母が世話をした(ほぼ育てたと言ってもいいくらいに)。夜中に産婆さんを呼びに行ったことや、赤ちゃんを銭湯に連れて行ってお湯に入れるのがとても大変だった話など、昔から何度も聞かされていた。

5年生で初めて書いた詩(私の弟・・・私の弟、可愛い弟お年は三つになりました・・・いまにおおきくなったならどんな人になるだろう・・・)の話や、食糧難の中、お祭りでその弟がくじで当てたお釜でほうれん草を茹でた話も載っていた。

そして茹湯で、外で遊んで帰って来た弟や妹の足を洗ってやるのが母の仕事だったこと。ごつごつした上の弟の足、紅っぽい妹の足、洗うと白くなる小さい弟の足・・・

当時観た、ポパイがほうれん草を食べると力瘤がもりもり盛り上がる漫画映画の印象的な場面。

山羊を飼い、毎日草取りに励み、その山羊の乳で作るシチューが楽しみだったこと。などなど・・・

 

そこには戦後のどん底の生活に小さな楽しみを見出しながら、健気に生きる少女の姿があった。そんな少女だった母がなんとも愛おしくなってしまった。

 

でも、そんな母も高齢となり、そのどん底の人生から必死で這い上がろうと、夢中で生きてくる中で積み上げてきたものへの執着も年々高まっている。その思いが強すぎて、私には受け止めきれない。あまりに重すぎるその荷を、たぶん母は生きているうちにおろすことができないのだと思う。それを私はもう、だんだんどうすることもできなくなってきて、ただただ見ていて悲しくなる。私は悲しすぎる。その溜め込んだ重い荷物を思い切ってリセットしてしまえば、もうそんなに苦しまなくていいのに。と思ってしまう。

ただ、私が見てきたもの。感じてきたもの。その苦しみ。その醜さ。惨めさ。それは、絶対に次の世代に引き継がせたくないという思いだけが残ってしまう。そのために、ただ捉われたくない。母の想いを充分にわかってあげることはできない。でも尊重はする。でも捉われたくない。

ううっ・・・今日はもうこれ以上は書けないぞよ・・・。

 

呪いのまま終わらせないようにするには、自分のしたいようにし切ってしまうことだ。そうしてギフトとして受け取ろう。

 

今宵、壇珠さんのこの言葉があまりにも身に沁みます・・・

 

  

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