ダメダメで愛しいお方よ、今日もお疲れ様!
あ~今日も料理をする。
買い物する時間がなく冷蔵庫の残り物・・・賞味期限のギリギリの物を優先にして組み合わせて、メニューを決める。選択肢はない。
今日のメニューは、”ザ、焼きそば”だ!それのみだ!
ごめんなさいです。許してくださいです。
いやいや、そんなあやまることある?
そもそも料理の苦手な君、もう何十年もよく料理担当続けているじゃん?下手なのに毎日作ってさ!
そういえば、最近包丁持つとお尻フルよね?( *´艸`)
あれはなんなの?( *´艸`)
やきそばを作りながらふと思い出す。
1年生の下校にお付き合いしたら、ず~っとぶつぶつ言ってる子がいたな。
普通1年生ってピカピカのランドセル!目キラキラ👀!やる気満々 !ってイメージだけど・・・?
あの子はなんだか目が吊り上がって、口元への字だったな。
それでもって、「めんどくせえんだよ。」を連発してたな。帰り道ずーっと。
ぐふふ・・・
「そうかそうか、君もめんどくせえか。確かにな。お疲れさん。」
そして、1日のお仕事を終え、今日も壇珠さんの記事に癒される至福のお時間(≧▽≦)
いきなり禅問答のような展開になってしまうのだけど、自己受容の最大のポイントは「自己受容できない自分」を受容する、ということなのだと思う。
わたしは自分についてしょーもないなあと思うことがいくつもある。けれど、しょーもないなあ、と思ったまま、そんな自分を大切にしている。
そのひとつひとつの「しょーもないなあ」を「しょーもなくないし」に変えたとて、自分を否定しているかぎり、ダメ出しというのは無限に出てきてしまう。勝ち目のない闘いだ。
自己受容を深めたい、という人にとって「でも自分を否定してしまう」ということと戦っているときというのは、いわゆる『逆境』にあるのと同じことだと思う。(逆境というのはとても良いサインで、わたしたちにとても良いことになる前触れ、予兆だ)
ここで、思い出した!今朝観たテレビ番組で、「苦しみや悲しみは途中で押さえない方がいい。ジェットコースターが下降しているときのように、途中で止めずに下がり切れば、それは上昇のエネルギーに変わる。」みたいなお話がされていた。これぞ、逆境は良いことになる前触れということ?
その戦いは、一体どんな勝利を目指しているのだろう。最後は完璧な人間になることだろうか。そのために一生の時間で足りるのだろうか。そもそもわたしたちは、自分をなにかのものさしに当てて形を変え、いらんところは潰し、理想通りに作り変えるために生まれてきたのだろうか・・・・・
そうやって理想通りになったとしても、そこには自己受容の安心感など伴わないのだ。条件付きの合格感であり、何かがちょっとでも失われたら、即座に不合格になってしまう緊張感に満ちている。
そのストレスと、そのストレスに使っている膨大なエネルギーよ・・・・!
坂爪さんのブログにはこんなようなことが書かれていたな。
「一番邪魔なものである見栄を捨てれば、とても楽になる。そして、世の中の優しさを知る。」って。
弱みもみんなすべてオープンにしてしまえれば、これ以上の解放はないな。
見栄を張ること、溜め込むことに使っていたエネルギーを、循環させること、動かし続けることに変換したら、きっと世界は変わるんだな。
わたしは、万人が平等にそもそも苦の中にあると思っている。これはそう考えることにしているのではなくて、自分の感覚だ。マジで大変じゃん、三次元で地球上で哺乳類で知的生命体だと。もうそこが苦である。寒いし暑いし。腹減るし。飲まない食わないと死ぬし。いろんな人がいてあれこれドラマが起こるし、しまいに死んでまうし。
だからここで生きる誰にも、すごいねとごめんねと可愛いねと可哀想だったねと強いねとこれからも大丈夫でよかったねと幸あれの混ざった気持ちを、どこかに持って接してしまう。これはなんと、味わい深い感覚だろう・・・!!
その感覚が、他の誰かにも、自分自身にも、同じようにある。そうなってはじめて、他者と自分との間に自分が持っていた境界線がゆらいだ。そこからたくさんの気づきがあって、その幻想が解け始めた。みんな同じじゃないか、おんなじだったや・・・と思ってから、頑なだった自意識にヒビが入って、なにかが変わったのだ。
まさに、こういうことではないですか?!おんなじことではないですか?!
あ~嬉しい!違ってもいい。トンチンカンでもいい。私はこんなに今日も嬉しく終われる!
大変なことも失敗もいっぱいあったけど、今日もがんばったね。
ダメダメで愛しいお方よ、今日もお疲れ様!
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