真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

真理は直観するものってスッタニパータが教えてくれた!

人間の思いは、真理にそむく妄想?

~スッタニパータ・闘争と論争の経より~

 

きょうも、「べき」に振り回されているから・・・

 

脱!「べき」!

 

「それも、”べき”だぞ!」って、誰かがささやいた。(+_+)

 

きょうは、もう、だら~んとして、

なんにも考えないで書いてみよっと!( 一一)

 

だ~か~ら~・・・

「当為から脱しよう!」とか、

「だら~んとしよう!」とか、

「なんにも考えない!」とか、

そういうところが、捉われなんだよ~!

 

そんなこと言われても、じゃあ、どうしたらいいの?!

 ヽ(`Д´)ノ ヽ(`Д´)ノ ヽ(`Д´)ノ

 

いいの!そのままで!

 

これ、誰との会話だ? (ФωФ)

 

まあ、いいや!

捉われるだけ、捉われればいいや!もう!

 

考えていると、なんだかわからなくなっちゃうし・・・

 

で? きょうのガーターは?

 

あ、考えてなかった・・・ (;'∀')

 

じゃあ、本でも開いてみよう (*´ω`)

 

・・・・・間・・・・・

 

(≧▽≦) (≧▽≦) (≧▽≦)

ピッタリのがあった!!

 

闘争と論争の経からです。

 

874-13

「自然に思うように思うのでもなく 

間違って思うのでもなく

それかといって思わないのでもなく 

思いをなくそうとするのでもないー

と丁度このように知るものにとって 

形はなくなる 

何故なら 思いによって 

ありとあらゆる妄想が起こるからである」

 

これ、下手に解説すると、

わけわからなくなりそうなんだけど・・・

 

普通に思うんでもないし、

ねじまげて思うんでもないし、

ぼーっと思うんでもないし、

思いをなくそうとするんでもない。

 

どれでもないってことは、

どれでもいいってことでもあるのかな?

 

とにかく、どれでもいいけど、

その「思い」に「思い」を任せればいいんですね?

 

ようするに、「直観」

この、直観の中に、すべてがあるんだな。

 

そもそも、人間の思いというのは、すべて妄想。

 

それによって、無常を固定して、

喜んだり苦しんだりしているだけ。

 

でも、真理というのは、無常。

流れていく。変わっていく。

固定なんてできない。

 

人間が、それを思いで捉えようとしたら、

みんなうそになるよってこと?

 

まあ、人間なんだから、それはしかたないけど、

そういうことを知って、認めたら、

少し、捉われから解放されるのかな?

 

あ~、またやってる、やってる!

それは、妄想だぞ~!って・・・

   

 

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