真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

これも思い込み?

また新しい発見があった!

ある人に対するイメージが覆った。嬉しい!どうしてこんなに嬉しいのだろう?と自分でも不思議なくらいに嬉しい!

 

別の人のフィルターを通した判断によってみていたその人と、ある会合で直に接して、自分のフィルターを通してみたその人は、全然違っていた。

その人のどこにピンときたかというと、ひとつは、

「俺は本当はこんな仕事なんかしてる場合じゃないんだ!生きているうちにやりたいことがたくさんあるんだ!」と言って、いろんな夢を語ってくれたこと。やりたいことを語る人の目は輝いていて、こっちまで楽しくなる。

それから、その人は♪イマジン♪という曲について解説していて、(まず片田舎の集まりでこんな話題が出ることにビックリ!)

「そもそも幸せのためにあるはずの〇〇が、争いの元になっていることが悲しい。」というようなことを話していて、私はそこで意気投合してしまった。

 

私たちは本当は憎み合いたいんじゃない!できれば仲良くなりたいし繋がり合いたいはずだ。って思う。それなのにどうして・・・?って悲しくなることがある。

 

そして、壇珠さんの言葉を聞いて思う。わかり合える前提でなくて、そもそも違うという前提で、それを認め合えたらって。

 

note.mu

 

自分が疑いもしたことのない思い込みって、どれほどたくさんあるのだろう。自分にとっては当たり前のように感じてられていて、当たり前すぎて疑問に思う対象にすらならないこと。
外国に出たり、まったく感性の違う人に出会うなどの、当たり前が当たり前でなくなる環境に置かれて初めて気がつくことって、本当にたくさんあるものだ……

 

こういう気づきがいくつもあって、やっとわたしは、自分の当たり前は、ただの自分の思い込み。ということがわかっていった。それを経てようやく、他者が自分とはまったく違ったフィルターで世界を見ているのだということに気がついた。

 

きっとわかりあえるという前提をもっていた頃は「なぜか自分だけは自分の感覚を他者と共有できない」という孤独があったのだけれど、「他の人も皆そうなんだ、、だから、そもそも互いにわかりあえないものなんだ、、わたしたちみんながみんな、そうなんだな…」とわかったら、人間というものに対して、それまでの感覚が塗り変わるほどの慈しみを感じたのだった。

 

 他人に対して、世の中に対して、自分に対して、どれだけ自分の思い込みだけで自分の中にせまい世界をつくっているんだろう?もうすべてが思い込みといってもいいくらい。そのことを知っているだけでも全然違うなって思う。他人とわかり合えない、通じ合えないということが、それほど苦ではなくなるし、思い込みが覆ったときに、ものすごい喜びを味わえたりもする。

 

・・・と、書きたいことがまだまだ溢れてくるけど、書き留め切れずに、まごまごしていると、すでに次の記事が・・・

恐るべし!毎日投稿!わしはついていくのに必死じゃ!

note.mu

 

非常に書きにくくもあるうぬぼれなのだけれど、わたしの毎日投稿を読んでくださっている読者さまは、どうも特殊な方たちのような気がしてならない。自分自身や宇宙への好奇心高め+めっちゃ純粋なところあり+ちょっと大衆と相容れないマイノリティなところあり、みたいなイメージだ。占いかよって話なのだけれど、勝手にそう思っている。

 

 これ、もしかして私のこと?とか思っちゃった( *´艸`)

自分のことばかり考えてたり、宇宙と通信しようとしてたり、絶対他人にバレたら変な人って言われるよな。とか、ときにバカがつくくらい正直すぎて、♪ナイフみたいに尖っては、触るものみな傷つけた♪(byチェッカーズ)となっちゃいそうだったり、自分の感動することは、世の人みんなが感動すると思い込んでて、でも全然違ってて、それでとても恥ずかしい思いをして、孤独になっちゃったり・・・

 

秘行は、自分で自分のことをはたから見るだけという至極シンプルな瞑想ワークだ。自分を見つめるということは、勉強することでもなければ、暗記することでもなく、誰かに試されることでもなく、どこかに正解があるわけでもない。自分VS自分の、フリースタイルの幻想喝破法である。(ちょっとかっこよく言ってみたかった。(笑)でもほんとうにそう!
立ったままでも歩いていても歌ったままやってもいい、型破りな瞑想法だ。制限はほぼなにもない。

 

身一つで自分で自分を見るというだけで、こうやらなきゃ駄目ですよ、という強制がなにもない。そこまで自由にさせられたとき、さてどう取り組むか。そこにも己が現れるというものでもある。

 

秘行とは呼んではいないのだけど、私はこういう自分をみつめたり、自分と自分で対話をしたりするのは大好き!とてもおもしろいし、いろんな気づきがあるのは確か。

 

ひとつ言えるのは、自分が変わったときにまず変わるのは、「自分の感覚」だということ。ただこのときに注意してほしいのが、必ずしも現実の生活が目に見えて変わるわけではなく、それを望んでいない人にとっては今の生活が違った感覚で見えるだろうということ。
それから、目に見えた大きな変化が起こる人も、現実の方は時間差を伴ってそこにゆっくりとついてくることもある、ということだ。

 

もちろん、現実の方にも激変と呼べるものが起こることもあるけれど、たいていは自分の感覚が変わったことから、自然と選ぶものが変わり、発する雰囲気が変わり、他者への接し方が変わり、目に入るものが変わり、人生の選択が変わり、次第にこれまでのものの見方によって創ってきた現実とはどんどんかけ離れていくことになる。だから、これは魔法のようなものというわけではなくて、至極まっとうなことなのだ。
わたしはまっとうじゃないけれど秘行はまっとうなのだ。(笑)

 

 私、ここに書いてあることにすご~く

(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪

て頷いてしまう。

ここ何年かで、自分の感覚が変わってきていて、自分では奇跡と思えるようなこともいくつも起きている。もしかしたら、今まで気づかなかっただけかもしれないけど、日々なにかに気づいたり、発見したりできることが嬉しい。なにより、自分の心がどんどん軽くなっている。もちろん浮き沈みはあるけど、基本どんな状況でも、自分は自由だと感じることができる。まさに、この説明にひどく納得してしまう。真実だ!って確信してしまう。それはわけのわからない世界のことではなくて、人の真理だと思うんだな。そして、そう思えることがなにより嬉しい!

 

これも思い込みかな~?でもとにかくそう思えるのが嬉しい!!

 

 

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