もやもやともとことんつき合ってみよう
昨日、私は人を傷つけてしまった。
自分では全く気づかないうちに・・・
それを指摘されてしまった。
初めは何を言われているのかよくわからなかった。
私にしてみれば半分冗談で、全く悪気のないことだった。
「なあんだ、そんなの冗談だよ。真に受けないでよ。」
と笑って済ませればそれで済むようなことだった。私にしてみれば・・・
自分でも、「大したことじゃない。気にしない気にしない。」・・・って済ませようとした。
でも、済まなかった。いろいろ気分転換をしているうちに忘れるかとも思ったけど、どうしても気になって、一日経ってみて、ますますもやもやしている。
相手は、もしかして、他にもいろいろ気に入らないことがあって、我慢できなくなって言ってきたんじゃないだろうか?
あれもいけなかったのかな?これもいけなかったのかな?・・・そんなことを考え出すとどんどんもやもやしてくる。
こんなときこそ、壇珠(ミユ)さんの言葉を読んで、実践してみよう。
ミユさんの記事には一応テーマはあるのだけど、いつでもなんにでも応用できる。
ようし、今日の記事を読んで、実践開始!
わたしは慰められるのが嫌いだ。自分が情けなくなってしまう。なんだか不甲斐なく思えて、余計に落胆する。悲しいときは悲しみきらないと、怒っているときは怒りきらないと、そこから浮上できない。だから、俺に慰めなんて要らないぜ・・と思ってしまう。
執着も同じで、それを経験しきらないと次に行けないのだと思う。だから、そこに精一杯向かってみる方がいいとわたしは思っている。
どんな執着にしろ、それを麻痺させているとき、わたしたちは往々にして人生に『退屈』を感じる。つまらないと思うとき、自分の執着を放ったまま忘れたようになってしまっているというケースが非常に多いように思う。
そんなときは、楽しいことをしてもどこかハマりきれず、やりたいことが見つからず、心のどこかが「こんなはずじゃない」と言っていて、なにかをどうにかして人生を思いきりやり切っていないような、このままじゃダメなような気がしてくるものだ・・・そして本当の望みでないことをあれこれ創り出してしまう。
どんな望みでも、「自分よ、とりあえず、知った!とりあえず、自覚できたよ!よくわかったよ!」と思ってあげるだけで、気分もよくなり、現実も静かに動き始めるのだろう。
というわけで今日は、執着を投げやりにもせず、蓋をせず、過大にも過小にも扱わずに丁寧に表に出して取り組んでいってみよう!というお誘いであった。。これはわたしの経験と見聞によるものだけれど、悩みを持つ方が、他にもいろいろな考えに触れてどうか自分を解き放てますように。祈ってます!
「祈ってます!」だって!
おお~、ありがとうございます!\(^o^)/
では早速・・・
まず、「大したことじゃない。気にしない。」ってごまかすのはやめて、自分の感情をよ~く見つめてみよう。もやもやの原因としっかり向き合ってみよう。
自分が不用意に言ったことで、人を傷つけてしまった。そのことがショックだったんだな。そんなつもりじゃないのに・・・っていう思いでいるんだな。
しかも、言われなかったら全然気づかなかった。・・・ということは、他にも自分は気づかないうちに、人を傷つけてしまっているんじゃないかと、不安になっているんだな。
そこまではわかったよ。
じゃあ、相手がどうして傷ついてしまったのか、相手の気持ちになって考えてみよう。
これはなかなか想像力のいることだ。育ちも年代も置かれている環境も違う人の気持ちになるって難しい。例えば自分にとってだったら、どんな場合が考えられるだろう?と、自分に置き換えていろいろ想像してみよう。
・・・そうしているうちに、うん、なんとなく、「ああ~そうか~こんな感じかな?」ちょっとわかる気がしてきたぞ。
じゃあ次に、そのことを伝えてくれたこと。伝えようと思うに至った気持ちを想像してみよう。
怒っていた?ううん、怒ってはいなかった。
泣いていた?ううん、泣いてはいなかった。
そうだよね。一生懸命言葉を選びながら、誠実に伝えてくれたよね?
私を責めるというよりは、こんなふうに感じてしまうなんて、ナーバスなのかもしれないけど、でも傷ついてしまったことを、正直に伝えておきたかったと・・・。
きっと言うまでには、「こんなことで傷つくなんて、こんなことでわざわざ電話してくるなんて、気を悪くするだろうな。」って思ったかもしれない。
でも、このままにしておきたくなかったんだな。わだかまりをつくりたくなかったんだな。きっと。
それは、これからもずっと、いい関係を続けていきたいからこそだよね?
ならば、相手を信じて、いろいろ詮索して必要以上に自分を傷つけるのはやめて、言われたことをそのまんま受け止めてみよう。
話の中で、「このことやこのことはうれしかった。」と言っていた。それは私を傷つけないように気をつかってくれたのかもしれないけど、さっきの私みたいに、「あれもいけなかったのかな?これもいけなかったのかな?」と私が必要以上に悲観しないように、付け加えてくれたのかもしれない。
そんなふうに考えていたら、よく言いにくいことを勇気を出して言ってくれたな。一生懸命誠実に言ってくれたな。って思えてきた。
だったら私もその言葉通りに受け取って、変に根に持たないようにしたいな。
知らないうちに人を傷つけてしまうのは怖いけど、怖がって怯えながらつき合っていくのも嫌だな。
でも、今回のことを前向きに受け止めていけば、またこんなことがあったときは、「この人は言えばわかってくれる。」って、また指摘してもらえるかもしれない。
それも怖いといえば怖いけど、知らずにいるのはもっと嫌だな。
もう、「自分は鈍感で過ちだらけの人間です。知らずに人を傷つけてしまうかもしれません。本当にごめんなさい。でも、悪気はないので許してくださいね。」という看板をぶらさげているつもりでいくしかないな。
うん。これで少し納得できたかな?
今日は、追い払おうとしてもすっきりしない、もやもやとつき合ってみた。
明日になってもまだもやもやしていたら、またもやもやをもやもやするだけ感じて、またもやもやと、もやもやしなくなるまでつき合ってあげるからね。だからもう心配しないで。もやもや。
おやすみ。もやもや。
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