真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

感情の風に身を任せ

私は一生懸命な人の姿が大好き!見ていると、私も何かやってみたくてムクムクしてくる。

 

そして・・・とうとう今日、ずっとやろうやろうと思っていたことを一つ実現した。

それは、いつもブログを通してその生き様に触れさせていただくことで、大きな力をいただいている、坂爪圭吾さんに感謝の気持ちを伝えること。

それも、自分にとって最高の形で・・・

ずっとどうやってお伝えしようか考えていて、でも、うまく伝える自信も勇気もなくて、先延ばしにしていたのだけれど、とうとうそこへ向かってまっしぐらとなってしまった。

 

それはどういうことかというと・・・

先日坂爪さんのブログを読みながら、そこに書かれていた言葉に共感したわたしの感情は一気に高まり・・・

「そうだ!これを歌にして伝えよう!GO!!!」と言い出したのだ!私の中のサンチーが。

「え~?!そんな無茶な!」とビビリのわたしが止めようとしたんだけど、サンチーの私はもうまっしぐらで、早速どんどん言葉をつないで歌詞を書き始めている。

そして、そのうち歌い始め、ピアノでコードをつけ始め、録音を始めた。

「おいおい、本気かよ~!」

どうやら本気らしい。・・・で、なかなか録音がうまくいかず・・・

でも、歌詞の中にもある、「今のわたしを見てください。」の言葉通り、「完璧でなくたっていいのだ!GO!!!」と言って、とうとう今朝それを坂爪さんに送ってしまった。

 

もう、考えるとドキドキそわそわしてしまうので、考えないようにして一日仕事に熱中し、一日のお仕事を終えて、先ほどパソコンを開いたら・・・?なんと、坂爪さんからお返事が来ていた!(≧◇≦)

 

やった!届いた!嬉しい!!

 

ビビリの私にこんなことができたのは、毎日壇珠(ミユ)さんの記事に勇気をいただいているからかな。

 

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なぜわざわざ悲しい歌を聴くのだろう。なぜわざわざ恐ろしい映画を見るのだろう。わたしたちは、感情を感じたい。揺さぶられたい。そこから自分の側面を見たい。そうではないだろうか。いろいろな自分を知ることができる。自分を知ることは根源的な喜びなのだと思う。
そこから、感情に揺さぶられない静かな自分を発見する。でも、感情を否定していてはそこへのアクセスをも同時に閉じてしまう。

 

そうか、揺さぶられたかったのか。

 

わたしには、なんだか感情というものは鍋の中に入っているイメージがある。

いつもその鍋に蓋をしたままだと、中の感情がどういう状態なのかよくわからない。

なべはしーんとしていることもあれば、ぐつぐつ煮えているときもある。

でも、蓋をしたままじゃもったいないよ。ちゃんと蓋を開けて、そこから出てくる湯気や香りをしっかり吸い込んで感じてみよう。ということですね?

 

とってもうっとりして思わず笑顔になるようなやさしい香りも、目に染みて涙が溢れてきちゃうような切ない香りも、吐き気がするほど気持ち悪くて逃げ出したくなるような香りも、わくわくして踊りだしたくなるような香りも・・・

 

自分を解放するということは、自分にやってくる感情や感覚を感じるということだと思う。それを人に見せる見せないの話しではなく、まずは自分で感じることだと思うのだ。それは、紙に描いた油の絵をあぶり出すようなものだと思う。あぶり出していくと、だんだんと自分の形がわかる。それは自分を知ることにつながる。
その絵の中に、永遠の静寂を見つけることも含めて。

 

たとえば怒りや悲しみのような自分を苦しめる感情も、ずっと蓋をしたままだと、ますます中で煮えたぎる。いっそ蓋を開けて充分に受け入れることで、その感情に苦しめられていた自分を解放することができるんですね?

 

泣きたいのに我慢して、怒りたいのに我慢して、ってやっていると、ずっとその感情から解放されない。思い切り泣いたり怒ったりすると、なんだか浄化されたように、スーッと解放されることってあるものな。確かに。

 

ひとりひとりが違っているわたしたちは、ひとりが表現するものは他の誰の表現とも違っている。それは必ず誰かのどこかに触れるようになっている。
ぜーーーーーんぶが違う。だから、同意も共感も反発も嫌悪もあって当然だ。でも、わたしたちが大元のところでつながっている大きなひとつであることを心の片隅に置いて、勇猛に進もう。

 

この力強いお言葉に励まされるな~!

表現することは怖い。自分を表現して共感してもらえなかったら、自分を否定されたような気持になっちゃう。ましてや、反発されたら、もうそれ以上表現することをやめてしまうかもしれない。

でも、同意も共感も反発も嫌悪もあって当然で、しかも、どんどんいったら、大元のところではつながっていて、必ずそこでふれあうことができるんだな。

なんだか嬉しい!

 

感情を沸き立たせることを恐れずに、今の自分の現実から、感じられるものをどんどん感じよう!わたしたちの現実は常に、そこに気づいていくプロセスも魂のメッセージも込められている『完璧な環境』だということを、信頼していよう。

 

目の前にあること。出会う人、出会うこと。そのすべてが魂のメッセージなんだな。

また、歌いたくなっちゃったよ!歌っちゃうよ!

 

やさしさに包まれたなら~きっと~目に映る~すべてのことは~メッセージ~♪ 

そして、大人になっても奇跡は起こるものね。 by ”やさしさに包まれたなら” 

 

感情は悪者ではない。船に向かって吹く風だ。帆を目一杯広げて、感じようぜ!!嬉しい時の人のやる気よ、怒ったときの無限のパワーよ。
その風を受けて、進むんだ!!

 

まさに、今日も帆を目一杯広げて、感情の風に身を任せながら力いっぱい進んだ日でした!

 

以下、坂爪さんにきょうお届けした歌をご紹介します。(坂爪さんのブログの内容を歌詞にしてみました。)

 

 

♪それが伝えたくて♪

 

世界に飛び散る粒子を集めて バラバラなものをひとつにする

織りなす材料は 宇宙の奇跡だ 人類の魔法だ

なぜあの組み合わせで こんなものが生まれるのだろう

自分だけのためなら できやしないのに

誰かのために 愛する人のために 

その熱い思いが 音になって流れ出してく

生きてるっていいな 人間ていいな 生きててよかったな それが伝えたくて


「今のわたしを見てください。普通じゃないでしょう?無謀でしょう?」

得体の知れない誰かと比べて そんな幻想に惑わされないで

普通の人なんてたぶん一人もいない 

普通じゃなくてもこれがわたしです

創ることも歌うことも奏でることも 

わたしにとってはとても自然なことで・・・  

生きてるっていいな 人間ていいな 生きててよかったな それが伝えたくて


贈り物を残したい 死んだ後に残るものは

集めたものより与えたもの それこそが生きた証だ

夢中になりすぎて 自分が消えてゆく 

欲望も願望もどうでもよくなる瞬間

透明ななにかがただ残されてゆく 

それに触れたくて 歌うのだろう 奏でるのだろう

生きてるっていいな 人間ていいな 生きててよかったな それが伝えたくて

 

 

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