本当に望んでいるのは自分からの愛
息子から、先日生まれたばかりの赤ちゃんの写真やビデオが、毎日のように送られてくる。
赤ちゃんの動きや表情はいくら見ていても飽きない。あくびをしたり、もぞもぞしたり、ぼうっとしたり、ビクン!としたり、顔をくしゃくしゃにして泣いたり・・・。
もう小っちゃくて、可愛くて、純そのもので。何の計らいも何の歪みもなくって、生命そのものという感じで・・・。無条件にみんなに可愛がられ、愛される。
そして、みんなみんな生まれたときはこうだったんだなって思う。
悪態ばかりついているあの子も、いつも不機嫌なあの方も、悪いことしてニュースやワイドショーを騒がせているあの人も・・・そしてこの自分も。
今日の記事は「秘行」というものについて詳しく説明されている。
自分が忍法分身の術でスッと二人になったと考えてみて欲しい。そして、分身したもう一方の自分を見てみる、というやり方。これで、じっと座って仕事をしている自分、買い物をしている自分、落ち込んで元気をなくしている自分、歩いて駅に向かっている自分、何かで喜んでいる自分、心配でションボリしている自分・・・どんな自分でも良いので、そっと覗き見してみて欲しい。
普段の自分を見て、どんな感じがするだろう。頑張ってるな、生きてるな、なんかごめん・・・、大変そうだ、かわいいな、、、どんな気持ちが湧いてくるのかを味わってみる。
もうひとつは、自分の子供時代をタイムマシンに乗って見に行ってみる方法。遊んでいる自分、学校で退屈している自分、家に帰るためにひとりで歩いている自分、なにか思い出深い場面、すやすや眠っているところ・・・どんな場面でも良いので、覗きに行ってみる。
そこでいろいろなことを感じると思うけれど、何を感じてもOK。
それから、その子供の年令を徐々に上げていって、今の自分までたどりつく。これによって自分を見ることができる人もいるので、試してみて欲しい。
自分をただ見るだけで、人はいろんなことを思い、感じる。それがなんであっても、大丈夫。どんどん感じて、いくらでも感じて、自分が自分をどう思うのか、自分に何を感じるのかを知っていく・・・・
まさに、人は自分を変えようとしない、ただ見つめる以外に何も望まない(見ている最中にいろいろ望んでしまうのは問題なし)でいるという態度を自分に持つだけで、大きな変容を体験できるのだ。
わたしはこれで、自分を本当に愛し許している事に気がついて、感覚がひっくり返った。それから、自分を可愛がるようになって、何年かの間に環境も大きく変化するという素晴らしい体験をした。これを広めようと思ったのも、その体験が本当に嬉しいものだったからだ。自分を大事にできるようになったのも、その感覚がわかったのも、とても嬉しかった。
赤ちゃんや幼児はとても大切な存在として扱われることが多いけれど、育ってしまうと、さらには大人になってしまうと、赤ちゃんのように大切で貴重な存在として扱ってはもらえなくなる。大人になるって、その観点からはなんだか寂しいことだ。
けれど、それは望めばいくらでも叶えられるのだとわたしは思っている。もういい大人だから、誰もそんなにホヤホヤの大切な命として扱ってくれないかも知れない。でも、自分でそれを自分にすることはいくらだってできる。
わたしたちは、彼に愛されたい、夫に愛されたい、親に愛されたい、先生に愛されたい、きょうだいに愛されたい、友達に、クラスの生徒達に、コミュニティに、社会に愛されたい、そう思いながら、それが叶わなくて傷つくことも多い。でも、その根本は、自分が自分を大切に愛することを望んでいる。そこが本当に満たされた時、誰かの愛でそれを満たす必要がなくなる。
そして面白いことに、自分を大切にできるようになってみると、他者からも大切にされるようになるのだ。
あ~そういうことだったのか~!そういうことだったのですね?!
なんとなくしてきたことや、なんとなく感じていたことだったけど、こうして説明していただくと、とても納得して、なんとなくでなくて、はっきりと、
「そうか、だからあの時うまくいかなかったんだ!」とか、
「そうか、だからあの時はうまくいったんだ!」とか、わかる気がする。
でも、しかし、私はすぐに忘れる。
日常のあれやこれやのいろいろに振り回されていると、うっかり自分を見るのを忘れている。知らないうちに自分を無視し、傷つけ、どうして??・・・と嘆き始め、誰かのせいや何かのせいにし始める。
そういうときこそ!ですね?
そういうときこそ自分への愛が足りないとき。
もう、どうしたらいいかわかんない~!ってなったときこそ、この秘行を思い出そう!
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