真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

ちっぽけな「思い」の枠なんて超えていけ!

 

今日の壇珠(ミユ)さんの記事は不思議な物語。

これはいったい・・・???

 

「今日はちょっと怖いお話を書いてみた」とミユさんはサラリと言われるけど、

私には理解できないのです。

 

ソルとカタンはミユさんの中にいる実在する人物なんですね?

ミユさんはきっと、そこで起こる出来事を、スケッチするように物語を書いているんですね?

 

 

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この物語を読んで、私も「思い通りにならないこと」について考えた。

 

昔は・・・いや、つい最近まで、自分の人生思い通りにならないことばかりと、嘆いていたな。

でも、いつのまにか、思い通りにならないのはあたり前になっていたな。 

そしたら、思い通りにしようとして、外に向かってギューっとなっていた自分の余分な力が抜けて、いろんなことが逆にこちらに入ってくるようになっていた。

 

思い通りにならなかったからこそ、今の私がいる。

それは子どもの頃の私が想像もできなかったこと。

いや、3年前の私にだって想像もできなかったこと。

いや、一か月前の私にだって想像もできなかったこと。

いや、一週間前の私にだって想像もできなかったこと。

いや、きのうの私にだって想像もできなかったこと。

そんなことが日々起こる。

 

自分ひとりの「思い」なんて、網の目のように広がる無限の世界からしたら、ほんのちっぽけな枠みたいなものだ。

思い通りになる人生なんて、そんなちっぽけな枠に収まるような人生だ。

そこには、なんの成長もなければ、なんの展開もない。

思いがけないことがいっさい起きずに、すべてが思い通りになったら、どんなに退屈でつまらないだろう?

 

そんな自分のちっぽけな「思い」に捉われなければ、

「そうきたか~!」「こうなるとは思わなかった」を楽しむことができのかな。

 

思い通りになってもならなくても、例えどんなに辛いことも苦しいことも、すべてが不幸であり、幸せ。

「これがいい」とつかめるものなんて何もない。

自分に起きること、ただそれを味わっていきたい。

 

そう思ったとたんすべてが輝きだした。まるで魔法にかかったみたいに。

 

・・・で、今日気づいたけど、私の「思い」すらも思い通りにならない。

 私の中でも日々思いがけないことが起きる。私の「思い」を越えて・・・

とんでもないことをふと思いついてしまう。

 

今日の私は、♪歌うたいのバラッド♪を、ある人の前で歌ってみたいと言い出した。

 

ユーチューブでいろいろ探すうち、感動的なエピソードに出会った。

路上でこの歌を弾き語りしていた森恵さんのお話。

お客さんが誰もいなくて、でも、どうしても自分の歌を届けたくて、目をつぶって歌い続けた。そうして、後半のサビのへんにいって、ふと目をあけたら、目の前にたくさんのお客さんが聴いてくれていた。というお話。

やっぱり歌は最高の贈り物だ。誰かに伝えたい気持ちがあるなら、歌うしかないのだ。 

上手いとか下手とか、恥ずかしいとかめんどくさいとか、言ってる場合じゃないのだ。

 

私の中のビビリちゃんは、「やめて~!やめて~!」「恐すぎる~!」と頭を抱えて抵抗している。

でも、私の中のサンチー(気合係)が、「GO!!!」と叫んで、ビビリちゃんを突き飛ばす。

そして、私はそれをやってみないと気が済まなくなってしまう。

それをやったら、何が起きるのか、確かめたくなってしまう。

ボロボロに間違えて声も震えて、チャンチャン!かもしれないけど、もうそれすら構わない。 

 

どうしよう! (・∀・) こりゃこまったぞ!

とんでもないことになったぞ!

 

 

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