真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

悲観が楽観に変わるとき

 

昨日はあんなに鼻歌混じりでルンルンだったのに、

今日はなんだか気が重い。なぜだ~?

 

♪ ときには雨も降って 涙も溢れるけど 思い通りにならない日は 明日がんばろう ♪ という気分。

 

もう寝ちゃおかな~?と思ったけど、これを書いているうちに元気になれるかも・・・

さあ、書くよ。

今日の記事はこれ!

 

「自分で選んでいるのだ」と思うということが、宇宙への感謝につながっているということ。

 

 

note.mu

 

親戚に不幸ができたのも、家族に病気がみつかったのも、おなかが痛いのも、頭が痛いのも、肩が凝ってるのも、思ったことを言ったら無視されちゃったのも、自分で選んでいるとは思えない。

 

どうすれば自分で選んでいると思えるかな?

 

起こってくる出来事に対して、外を見るのではなくて内観すること。

 

その出来事よりも自分が大きくなること。やられた、ではなくて、じぶんでやったと思うこと。そこに敗北感や責任感は一切いらない。

 

これは、そう「考える」のではなくて、自分の中にあるその感覚を感じてみること。わざわざ自分でやっていると思おうとせずとも、わかることだ。
鍛錬しなくても、身につけなくてもいい。そんなことをしなくても、万人に元々備わったものだから。ただそれを感じにいけばいいだけだ。

 

起こっていることはただの現象。それはいろんな要因が重なって起こる。

それを悲観して、神様に「どうしてこんな目に遭わせるのですか?」といくら問いかけても、神様は答えてはくれない。「私はどうすればいいんですか?」といくら問いかけても「こうしなさい」とは言わない。「お前はどうする?」とただ見守っているだけなんだな。私の方が問われているんだな。そして、私の選択によって、それはすべて感謝の対象にすることができるということかな?そして、悲観はいつのまにか楽観に変わる。

 

自分でやってるなら大丈夫だ、自分の中にあるものを超えたことは起こらないんだ、何が来たって大丈夫なんだ、と感じるようになり、その結果、人生への非常~~~~~~~に心地よい楽観を生む。この安楽について語らずにはいられない。共有したくてたまらないのだ。

 

だから今日は啓発味が強くなってしまうけれど、まずは、出来事に対して、自分の選んでやっていることだ、と思ってしまおう!
ホリエモンみたいに、「想定内なんで。」と思ってみよう!そこから、その想定に付き合ってくれたいろいろなものに対しての「ありがとう」が湧いてきたら、この苦の中にありて、安楽を見出すであろう・・・!

 

ミユさんの言葉はいつだって力強い。嘘なんてひとつもない。だからわからないことはわかりたいから、何度も読み返す。

 

・・・でも、今日はとりあえずこの辺で休むことにします。

この歌を口ずさみながら・・・

 

♪ 折り方を知らなくても いつのまにか 飛ばせるようになる

それが 希望 推進力だ ああ楽しくやろう 365日 ♪

 

♪ 飛んで行け! 飛んでみよう! ♪

 

明日はまた今日とは違う新しい日だ!

 

 

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