真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

自分を大切にするって?

 

やっっっっっとこの時間がやってきた!

今日ずっと考えていたことを、早く言葉にしてみたくて待ち遠しかったよ~!

 

今日は午前中、義母の病院付き添いで、待ち時間がけっこうあったので、壇珠(ミユ)さんのブログはもちろん、坂爪さんの過去記事にまで足を延ばした。

 

もう、この方たちの記事はどこから読んでも、何度読んでも、いつだって新しい何かに出会える。

おかげでとても充実した時間を病院の待合室で過ごすことができた。

 

・・・で、今日坂爪さんの記事で目にしたのは、

ひとつは坂爪さんのお兄さんのお話で、精魂込めて準備された講座に、たとえ、参加者が0人でも、大勢の人を前にしているかのように講座を続けられたというお話。

 

そして、もうひとつは、「お金のいらない国」という本の紹介。この世からパッとお金が消えたとして、それでもみんなが仕事を続けていれば世の中は回っていくはずだというお話。

そして、今している仕事が本当に価値のあるものかどうかを判断するには、この世からお金が消えたとして、仕事による報酬がもらえなくなったとしても、その仕事を続けるかどうか・・・?というお話。

 

そして、「自分を大切にするって?」ということが書かれたミユさんの今日の記事。この3つから私は自分の仕事はなんなのか?について考えたので、それを今日は書いてみたい。

 

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わたしはゲームで遊ぶのが好きだ。だからゲームばかりをする。YouTubeを視聴しているのが好きだ。だからそればかりをする・・・これはたしかに好きなことをしている。でも、それは同時に自らの不満を創造していた。
そこに気がついて、だったら不満のない方にいけよ!と思ったのだ。

 

私は自分のすべき仕事がなんだかよくわからずにやっている。(音楽の先生を)。何度も「もう辞~めた!」ってなったのに、なんか気がつくとまたやっている。

  

初めに辞めたのは、子育てが始まったころだけど、子育てをしながら、音楽の先生を主人公にした小説を書いていた。あちこちの出版社に送るうち、出版してくれると言って下さる出版社の方に恵まれて出版した。

 

次に辞めたときは、なんだか違う世界が見たくて、スキー場でバイトをした。リフトの雪払いをしたり、イベントの司会をしたり、ウサギ小屋の雪混じりでガチガチになったフンを掘り起こして掃除したり、大雪の日は延々と雪かきをしたり、キティちゃんの雪像を作ったり、雨の日なんて、一人もお客さんが来なくて、こんな暇な仕事もあるんだな~と思ったり、これはなかなか新鮮だった。そして、珍しがられた。( *´艸`)

 

その後、いろいろ経て、音楽の伝統校でプレッシャーに疲れ、その後の転勤校では、チンピラ集団の反乱の相手に疲れ、また「辞めます」と言いながら、今の非常勤の仕事に出会い、2年が終わろうとしている。・・・のだけど、私はつい2~3か月前までは、また、もう今度こそこの仕事から足を洗おうって思っていた。

 

さっきの「お金のいらない国」のお話読んで思い出したけど、この頃の私は、むしろ、給料もらわないなら、ボランティアでなら、この仕事続けたい。と思っていた。

ところが・・・いっしょにやっている音楽の先生にこっそり辞めたいと打ち明けたら、思いがけない反応が返ってきた。その先生は突然涙を流して、必死で引き留めてくれた。あと一年だけでいいから、いっしょにやってほしいと・・・。私はその姿になんだか感動してしまって、そんなに私って必要とされているのか?!って思っちゃって、一気に思いが180度転換してしまった。なんと単純な・・・

 

結局私は弱虫で、なにかに突き動かされないと、本当にしたいことができないんだな。

 

今の自分が欲しいもの、それが今の自分の枠から出ないと取りにいけないものだとすると、それはこのまま今の自分の枠の中で単に楽しいことをしていては決して手に入れることのないものだ。
そんな状況にあるとき、楽しいことだけをしよう、などということを言い訳に使って自分のコアを無視していると、自分を無駄遣いしているような、もっと自分を発揮できるのにしていないような、どんよりとした不満に支配される。嫌な気分だ・・・

 

自分を大切にするときに本当にしなくてはならないのは、もしやれるのなら最高だ、と思うことにチャレンジする自由を自分に与えることではないだろうか。

 

私はとても要領が悪い。1時間の授業をするのに、ああでもないこうでもないと、やたら準備に時間をかけてしまう。なので、半日勤務といっても、ほとんど一日中仕事をしているような感覚になる。しかも、・・・にもかかわらず、それがすべて裏切られて踏みにじられてしまうこともある。そんなとき、情けなくて、悔しくて、自分のやっていることがわからなくなる。

でも、さっきの坂爪さんのお兄さんのお話を聞いて、美しいな~って思った。私も何かに向かって一心に努力できる人でいたいと思う。現に、あれこれ想像しながら、こんなことをしたら子どもたちは目を輝かせるかな?とか、こんな曲にこんなふうに出会ったら、どんな反応をするかな?とか、考えながら準備している時間というのは、決してつまらないものではない。あ~またこんなに時間かけちゃって。と思いながらもそうやって一生懸命やっている自分のことが嫌いではない。

 

欲しいものに向かう間の道中は辛くとも楽しいものだ。モヤモヤが晴れた爽快感もスカルプD以上だ。だから、自分をコーナーに追い込んで手を付けさせ、あとは荒野に放り出せばいい。放り出されたらなんとかしようとする。自分に備わった適応力がその殻を突き破って本気を出すときだ。
その己の力、確実に想定外だ。人間の適応力、見くびんじゃねえぞ!!

 

先日6年生の女の子に聞かれた。

「先生はどうして音楽の先生やってるの?」と・・・

「他にできることがないからだよ。」と答えると、

「え~そうなの?」と、不思議そうな顔。

そしたら、なんと私はこう言ったのだ!

「でもね、音楽が大好きだから、毎日がハッピーだよ!」

自分で言っておいて、自分でびっくり!でもこれは本音だった。

「そうだよね?私も音楽大好き!!!」とその子。

あ~いいな~「大好き」ってことば。心があったかくなる。

 

 

それから気づくと3年生と歌った ♪あしたははれる♪ という歌をずっと口ずさんでいた。

♪すーきだから きみが すきだから~ とーもだちさ いつも いつまでも~♪

♪元気出せ 涙吹き飛ばせ 声を合わせ歌おう あしたははれる♪

この歌好きだな~ (^^♪

 

わたしは自分を本当に大事にしていると、いつも自分史上無比の満足感を更新していけるものだと信じている。
本当に欲しいもの、かつ自分でしか取れないものは自分で取りに行こう。
そうして君よ、荒野で自史無双の己に出会うがよい!!

 

あしたはどんな自分に出会えるかな?

 

 

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