真の人と出会って心の解放へ

心の解放へと導いてくれる真の人(本)との出会いの記録。(毎田周一「釈尊にまのあたり」他 聖徳太子・親鸞・宮沢賢治・・・生きてる人も)

ワクワクする方向へ

きのうの余韻で、 ♪宝島♪ (さあ、行こう!夢にみた島へと~)の歌と共に、今日という日が幕を開けた。

 

さあ、今日は休みだ。何をしようか?

もう私の船出は始まっている。希望の島、宝島を目指して!

いや、宝島はどこか遠くにあるんじゃない。もう、私はすでにお宝に囲まれている。手を伸ばせばいつでもそのお宝を手にすることができる。例えこたつにあたっていながらでも。最近そのことに気づいた。毎日壇珠(ミユ)さんのブログを読んでいるうちに・・・

なんなら今日というこの日を、一日中この ♪宝島♪ を熱唱して終わらせてもいいくらい。

 

ミユさんは言う。好きなことを続けていった先にある壁にぶち当たってみたいと。それでも続けたら何が起こるのかと。

 

苦しいことを続けると身体に悪いだとか、よくないものを引き寄せるだとか、今後の結果に悪い影響があるだとか、そういう自分を守るための小賢しさに支配されているのではない「頭での理解を超える愚直さ」には、神がかったなにかが宿る気がする。社会的な成功という意味ではなくて、何かもっと本人にとっての聖域に出会えるような。

 

それが後々になって自分にどんな影響をもたらすのか、なんて考えずに、ただ、見たいものを見に行く。損得で決めたのでないことは、いつもワクワクして面白い! 

 

 

note.mu

 

 今日のミユさんのブログのテーマはこれ。

感情・思考・体感の三位一体で、ネオ・テレポーテーションができる

 

私にはまだテレポーテーションの体験はないのだけど、これを読んでいたら思い出したことがあるので、ちょっとミユさんの言いたいこととはズレているかもしれないけど、それを書いてみよう。

 

私が半日だけ勤めている小学校では、今盛んに卒業式に向けて歌の練習をしているのだけど、今の6年生がちょうど一年前の5年生の頃のことだ。

 

普通なら児童会なども引き継ぎ、最高学年に向けて意識が高まってくるこの時期に、まったくやる気のない5年生。歌の練習でも歌声がしょぼすぎて「あれでいいのか?5年生は!最高学年になるというのに」と、まわりからパッシングを食らっていた。

私はなんだか残念でならなかった。一年後の卒業式には生き生きと歌ってまぶしい姿で卒業していく彼らの姿を夢見た。そして、なぜかわからないけど、彼らにアンジェラ・アキさんの♪手紙♪という歌を出会わせたいとどこかで思っていた。

 

それから月日は過ぎ、6年生の秋、音楽会の時期になった。曲決めの候補曲として私が提案した♪手紙♪も入れてもらえることになった。私は勤務の関係でその場にはいなかったのだけど、全員一致で♪手紙♪に決まったと聞いたときは胸が躍った。しかも、いつも集団に入れずに、後ろの方でちょろちょろしている子たちも、曲がかかると引き寄せられるように「これはなんていう歌?」と興味を示したとのこと。私は勝手になんだかテレパシーが通じたような気がして「おお!」と思った。

 

♪手紙♪は自分との対話の曲。誰にも言えない悩みを未来の自分に打ち明ける。未来の自分は言う。

「自分とは何でどこへ向かうべきか問い続ければ見えてくる。」と。

「今負けそうで泣きそうで消えてしまいそうなぼくは誰の言葉を信じ歩けばいいの?」という問いが、いろんなことを抱えて生きている彼らの姿と重なった。

「負けないで泣かないで消えてしまいそうなときは自分の声を信じ歩けばいいの」と未来の自分は答える。

人生のすべてに意味があるんだから、恐れずに君の夢を育てよと。苦くて甘い今を生きようじゃないかと。♪手紙♪はそんな歌だ。

どんな歌声を聴かせてくれるのかと、練習が始まる前からワクワクした。

 

ところが・・・・・

ある日私は、音楽会間近の練習でもなかなか本気になれない子どもたちを目の当たりにした。

そして、彼らを前に口を開いたら一気に爆発が起こった。

その瞬間、「巨人の星」の星一徹が私に乗り移った。(またか!( *´艸`))

出てくる言葉は、歌の歌詞と完全にリンクしていた。なんて言ったか詳しいことはもう忘れたけど、

「人生のすべてに意味があると歌っていながら、今を生きていこうと歌っていながら、まったく今を生きていないじゃないか!」

「人生はどこか遠くにあるんじゃない!今ここにしかない!」

「自分の本当の声に耳を澄ませろ!その声は今のその自分の姿をよしと言っているのか?」

「うまい下手なんて関係ない!今、この瞬間をどう生きるかだ!」

星一徹はきっとそう言いたかったと思う。

 

そしたら・・・奇跡が起こった。

さっきとは別人の歌声が響いた。

私は「これが聴きたかった~!」と思った。

 

まだ小学生の彼らに、星一徹の言葉がどれほど伝わったかはわからないけど、あれは私にとって貴重な体験だった。何度も夢見た本音だけでまっすぐにものを言う自分の姿。それがやっと実現したような・・・つまり、恥ずかしいとか、照れくさいとか、ダサいとか、ウザいとか、どう思われるかとか、そういうものを全部払いのけて突き破って、「もう、どうにでもなれ!」みたいな感じで、心の底から一番言いたい言葉が勝手に飛び出してきた爽快感!

まったく、あの歌を子どもたちに歌わせながら、そのメッセージを一番必要としていたのは自分だった。

そして、今でも私は、♪手紙♪ という歌を聞くたびに胸が熱くなる。

 

 

ちょっとの時間、超絶なリアリティを伴った感覚を持つということは、その場所や感情などを含むその状況への時空を超えた移動を引き起こすことだと感じる。

 

わたしたちが、めっちゃくちゃ気持ちを伴って感じたことはテレポーテーション機能を持ってしまうのだとも言える。「それを引き寄せというんですよ!」と言う人もいるかも知れないが、わたしがここで言いたいのは表現による感覚の違いで、このことの本質は、「引き寄せ」というのんびりとした、自分が同じところに居て、なにかがあちらからやってくる、というイメージのものではないということなのだ。

本当を言えば、リアリティを持った世界にぶっ飛んでしまうということ。時空の制限のあるわたしたちにとって一応因果関係のある事が起こってから移動するために時間差はあるにしろ、表現としては、テレポーテーションと言ってしまったほうがよりリアルにイメージできる気がするのである・・・・・

 

感情も思考も身体も、どれもがその魔法みたいなシステムを機能させる、なくてはならないものだ。わたしたちはそんなシステムを搭載した、インテル入ってるどころかテレポ機能入ってる生物である。

 

なんか・・・なんか・・・人間てすばらしい。(ToT)  

 

私はよく心の中で会話をする。

その中に「おバカちゃんたちの会話」というのがある。それはこんな会話。

 

おバカ1「私またバカなことしちゃった。」

おバカ2「ほんとだね。でも私だって、こんなバカなことも、あんなバカなこともしちゃったよ。」

おバカ1「ほんとだね。お互いあきれたもんだね。」

おバカ2「ほんとだね。でもしかたないよ。人間に生まれちゃったんだから。」

おバカ1「バカは死ななきゃ治らないっていうけど、死ぬまでバカはバカなりに一生懸命生きていこうね。」

おバカ2「うん、そうだね。」

 

でも、これ読んで、この会話も好きだな~!って思う。

 

人間同士が、「あなた人間なのすごいね!」「いや、つかおめーもな!♥」という会話ができるって、いいなと思う。
そして人は自分をナメちゃいけないのだと思う。つまらない人だ、なんて考えは真実ではない。ふざけんじゃねえ、そんな人いないんだぞ!!

 

人間1「あなた人間なのすごいね!」

人間2「いや、つかおめーもな!💓」

 

これ、最高!!!

 

是非、声に出してやってみましょう!

きっと1回じゃすまないから。

ちなみに私は3回やって、3回とも笑い転げました!

 

さて、人間同士の会話、終わりましたか?

では、今日のミユさんの締めの言葉いきますよ!

 

この真っ暗な宇宙の中に奇跡のように輝く、陽の当たる水の惑星。
そこには世にも奇妙な知的生命体が存在する。それが我々だ・・・・貴重な宇宙人として、誇らしく生きようではないか・・・!

 

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